私は、素朴に、「それではいけない」と思っている。「ゲド戦記」は、星一つというほどひどい映画ではないが、それでも「時をかける少女」よりも高い興行成績を上げてはいけない。
そう、はっきり「いけない」と言い切ってしまおう。
なぜなら、「駄作でも宣伝で売れる」という例を、さらに一つ積み上げてしまうから。そうなると、製作会社もメディアも広告会社も、それでいいのだと思ってしまう。結果、我々はまた宣伝でじゃぶじゃぶになった駄作を観せられることになる。人生の時間を浪費させられるのだ。
映画のマーケティングを考える – 松浦晋也のL/D
そんなこと言ったって実際問題、宣伝すりゃ人は入るんだから仕方ないべさ。宣伝しちゃいけないんだったら、どうすればいいのか。この人が駄作であるか否かを判断して、その上で宣伝するかしないか決めるとでも言うのであろうかw


作った側(製作会社とかメディアとか広告会社とか)が、多くの人に見てもらおうと努力するのは当然だし、それがいけないなんてことはない。駄作かどうかなんて宣伝する側が判断することではなく、見る側の個々人の判断。その時にはもう金を払っているわけだから、結果として「駄作でも宣伝で売れる」ということになるが、そんなことは昔からそうであったし、大半の作品は「駄作」だし、今更目くじら立てるようなことかね。
もしも、「時をかける少女」と「ゲド戦記」の宣伝費や上映館数やランキングが逆だったら、そもそもこんなエントリ書いてなかった疑いが濃厚。単に自分の好きな作品がヒットしてないのが気に食わないからって、それをマーケティングにすり替えてるようでは中学生レベルの議論だ。興行収入で負けているのは、十分なマーケティングを行わなかった(あるいは行えなかった)「時をかける少女」を作った側の責任に過ぎない。
要は個々人がメディアなんか簡単に信用してはいけないってことを肝に銘じていればいいだけの話。既存メディアへの対抗手段としては既にネットがあるわけだし(勿論ネットだってメディアだからやはり簡単に乗せられてはいけない。つーか、メディアでなくとも須らく人を言うことを鵜呑みにしてはいけない)。
[追記]ぎゃー、久しぶりに読み返してみたら日本語間違っとる!! 知ってたはずなのに….orz[追記ここまで]
それでもTVなんかでバンバンCM流していたらやっぱりなんとなく見に行きたくなってしまう人もいるかもしれない。そうなったらそれで、素直に見に行けばいいじゃない。損したと感じたら文句言えばいいじゃない。blog書いているならネタのひとつにでもすればいいじゃない。たかが映画じゃない。
駄作を宣伝で売るという手法を繰り返していれば、いつか人は宣伝を信用しなくなる。それは自殺行為だ。それでもまだ売れるのであれば、あきらめろ。
個人的にはネット上の評判を聞いた結果「ゲド戦記」を見に行く気は全くなくなった。勿論その判断が正しいかどうかは作品を見てみなければ分からない。既存メディアによる宣伝には乗らなかった代わりにネットという新メディアに乗せられたのかも知れない。結局それは自己責任である。
これが経済、例えば株式市場であれば風説の流布なんかに騙されないよう注意したり制度を整えたりするって話だし、政治であれば言論の自由が保障される体制を維持していく努力を怠らないことであろう。
「2001年宇宙の旅」だって「ブレード・ランナー」だって公開時には不入りだったけど、現在の評価は全く違う。
宣伝しようがしまいが良いものは必ず残る。作品の良し悪しの判断指標のひとつは普遍性(空間・時間軸両方において)だ。歌謡曲なんざ3ヶ月で消えるがバッハは300年聞き継がれている(歌謡曲だっていいものはいいけどね)。
仮に「時をかける少女」が傑作で「ゲド戦記」が駄作であるならば、恐らくDVD発売時に今よりもその評価が反映された形で結果が出るであろう。
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