一連の官製談合発覚事件や官僚の天下り斡旋反対がどーのこーのという議論を見るにつけ、改めて日本はつくづく「和をもって尊しと為す」国なのだなぁ、と納得。すべて聖徳太子が悪い!
よく言われる事だが「和」の範囲があんまし広くないことが問題。談合だって参加者だけで見れば持ち回りの利益配分という誠によく出来た心温まる仲良し子よしの仕組みなのだが、納税者にお鉢が回ることについてはさっぱり省みられる事がない。要するに身内には優しいくせに、その外に対する配慮は全く無い。日本人にもそれが社会的に害を及ぼす行為であることを理解できるだけの理性はあるわけで、だからこそ法律で禁止しているのだが、そのような理屈はどうしても後回しになる。
「和をもって尊しと為す」があまりにもDefaultになり過ぎていて、事の良し悪し、論理的整合性、倫理的可否、個人の嗜好などが全て後回しにされる傾向が強すぎるのではないか。ガキの頃、数人で貰ったばかりのお年玉を握り締めておもちゃ屋へ走ったときのこと、みんな同じ玩具を買うんだよね。この年で周囲に合わせて物欲を制限することをもう覚えているわけ。人と同じことするのが「和」なんだよね。野球が流行っていりゃ野球をやって、社会人になっても相変わらず野球の話題を話している。こいつら自分が欲しいものなんてあるのか、ひょっとすると既に本当に自分の好きなものなんてなくなっちまってんじゃないのか。
そういうことに反発すると直ぐに「オトナになれ」なんて言われちゃうのがまた嫌だ。ま、その社会の規範を受け入れる事が出来たものを「オトナ」と呼ぶであって、当然といえば当然ではあるのだが、果たして本当にそれでいいのか。
それはさておき談合については何故この時期に連続して発覚したのかという点も考えておくのがジョーシキ。
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