DVDが出たので「時をかける少女」を見た。昨夏のBlogosphereにおける熱狂ぶりが凄まじかったので、どんな大傑作かと期待していたが、普通に良作だと思った。やはり「ゲド戦記」を作ったジブリ・ブランドに対する反発というか、判官贔屓的な側面が大きかったような気がする(ゲドは見てないけど)。それでもオタクと子供向けの作品が多い昨今のアニメ作品の中では出色の出来。特にGoldberg変奏曲が効果的に使われていたのが印象的だった。

以下、ネタばれ全開なので未見の方はご注意。

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この新作では、なによりも芳山和子の見事なまでの無関与ぶりが際立っていた。原作へのオマージュとして設定どおりに記憶を消された結果、千昭以外の他の登場人物と同様にタイム・リープの存在を知らないままストーリーの端っこにさらりと出しておくのかと思いきや、研究室の本棚にはしっかり深町や吾朗と三人で写した写真がご丁寧にもラベンダーとともに飾られている。だからといってまた、新作の主人公である真琴の行動に積極的に関与していくわけでもない。

和子は真琴の相談相手にはなるものの、話の筋そのものには全く介入してこない。和子は真琴に自分のときはこうだったとアドバイスをするでもなく、タイム・リープを行うとどうことになるかを説明するでもなく、危険性について注意するでもない。タイム・リープという超常現象を「そう珍しいことじゃない。真琴くらいの年の女の子にはよくあることなんだから」と、日常的なものとして受け入れてしまう。自身がかつて体験しているからそういう現象があり得ることを肯定するのは理解できるにしても、「よくあること」では決してない筈であるから、いくらなんでも受け流してしまうのはやはり異常である。そのくせ真琴が何度タイム・リープしても、ちゃんとそれまでの経緯を理解しているように見える(単に真琴が繰り返し説明をしたことを冗長になるから省略したのかもしれないが)。その点を製作者は、「魔女おばさん」というレッテルを貼り付け、なんだか不思議な人ということにしてしまって、軽やかに観客にスルーさせてしまった。

和子の関与といえば、千昭が「どうしても見たかった」絵を修復していたのが和子であったという因縁と、千昭の失踪後に真琴から相談を受けた時に「待ち合わせに遅れたきた人がいたら、走って迎えに行くのがあなたでしょ」と、チャージがあと一回残っているのを知っているかのような意味深なセリフくらいだ。まるで「これは私(和子)の話ではなくて、あなた(真琴)の物語なのよ」と言っているかのようである。つまり、ストーリーに参加するわけでもなく、タイム・リープの存在を知らない他の登場人物と同じ役割を果たすのでもなく、それでいてタイム・リープを「よくあること」と受け流すということは、要するにメタな立場、SFでは「よくあること」と認識している観客と同じ立場にいることとなる。

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それから、チャージ数の問題。千昭の最後のリープによって真琴の最後のリープは一旦帳消しになった。どうやらこの話の中では、他人に時間を戻されると、自分がリープしたこともなかったこととなってしまうようだ。使った筈の自分のリープ回数がいつの間にか戻っていれば、それは他の誰かがタイム・リープを行ったと認識できる訳か。一方、自分でリープした場合はちゃんとマイナス・カウントされるらしい。戻る度にリセットされるならば無限にリープ出来てしまうので、これは分かりやすい。
が、そうであれば時間を戻されれば使ったという記憶も無くなってしまう筈なので、この方が作った図解の中で述べているように、真琴が「0だった筈なのに」と気づくのもおかしいといえばおかしい。また、チャージ数も1回ではなくもっと沢山残っている筈なのだが。まーいいかw この手の矛盾はタイム・リープものにはつきものであるし、理屈先行でストーリーを台無しにしてしまうこともなかろう。

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それにしても、最後のリープの後、なぜ真琴は自分がタイム・リープの存在を知ってしまったことを千昭に打ち明けたのであろうか。黙っときゃいいのにw そうすれば千昭は自分が過去の住人にタイム・リープを知らせる禁忌を犯したことを知らずに済み、慌てて未来へトンズラする必要はなかったろう。7月13日時点では補修中であった例の絵をじっくり観賞した後に帰ることもできたろう。真琴だって千昭からいつ告白されようとも、既に心の準備は出来ていたから素直に受け入れられた筈。功介は「俺が彼女作ったら、真琴が一人になっちゃうじゃん」なんて言ってたから、ホントは真琴が好きだったのかもしれないが、ま、策略通り果穂ちゃんとくっつけばいいw というわけで皆が万々歳になった筈なのに。

その場合、失われるのは観客の心に残る「切なさ」であろうから、ちょっとその選択はできなかったであろうがww

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