「ヨコ社会」は子供の妄想 金曜日, 6月 1 2007 

ホント、コンサルタントって下らないのが多いよなあ。タテだのヨコだの言うだけでは何の意味もない。トーダイ出ててもバカはバカ。

『機動戦士ガンダム』に影響を受けた世代の我々は、組織は理不尽なものと理解しつつも、そこに所属することをよしとしている。一方で、『ワンピース』に影響を受けた若い世代は、組織への所属よりも仲間への所属をよしとしている。

タテ社会に生きる“ガンダム世代”と、ヨコ社会に住み始めた“ワンピース世代” – bpspecial ITマネジメント via 明日は明日の風が吹く

タテからヨコになんて今頃そんなことを吹聴していること自体が滑稽。マンガという如何にも若い世代・ネットを多用している連中に受けそうな素材を例に挙げて論証を試みるあざといやり方はまぁ良いとしても、「ガンダム」と「ワンピース」だけでは全く物足りない。それは、この2つの作品の特徴が、筆者の言うほど違ってはいないからだ。

主人公の海賊・ルフィはガンダムの登場人物とは違い、どこかの組織に所属するわけではない。自分と仲間たちの「麦わら海賊団」という組織があるといえばあるが、組織の論理で行動することはない。ルフィの行動原理では、常に仲間が中心にくる。

タテ社会に生きる“ガンダム世代”と、ヨコ社会に住み始めた“ワンピース世代” – bpspecial ITマネジメント via 明日は明日の風が吹く

恐らく筆者の頭に浮かんでいる対立構造は大企業 vs 「仲間内で始めたベンチャー」のようなものだろう。確かに、気の会った仲間だけで構成される「麦わら海賊団」の様子は如何にも楽しそうで、規律や組織論理に縛られた他の海賊や世界政府の描かれ方とは対照的だ。しかし、それは「麦わら海賊団」を構成するメンバーの大半が、悪魔の実によって超人的な能力を得たスーパーマンか、あるいは自己の鍛錬によるものという点に違いはあるものの、やはり普通の兵士や海賊とは段違いの強さを身につけた特異な人物であることによって始めて可能となっているに過ぎない。

ルフィの海賊団に集まってくる仲間たちも、別にルフィを「上」の存在だと考えているわけではない。よくいえばフラット、もっといってしまえば誰もが海賊団の中では自分が一番「上」だと考えていてもおかしくないような、個性の集まりである。

タテ社会に生きる“ガンダム世代”と、ヨコ社会に住み始めた“ワンピース世代” – bpspecial ITマネジメント via 明日は明日の風が吹く

彼らは少数先鋭集団の最たるものであって、各々が大組織に拮抗するだけの力を有しているという、現実にはまずあり得ない設定によって存在が成り立っている。構成人数が10名にも満たない小組織であって、連帯感も強いのであれば階級による上下関係や事細かいルール、タブーなどといったものは殆ど必要ない。しかし、仮に「悪魔の実」の存在をなしにしてこの物語を構成するとすれば、ルフィーと雖も他と同じく戦闘員数並びに火力重視の海賊団を組織せざるを得なかった筈である。そしてそこには当然組織が組織としての行動を可能にするための堅苦しい規律が必要となる。

そして『ワンピース』を読んで育った世代の若者たちは、“とても個性的な自分”を意識しながら、いつも自分の周囲にいる“個性的な少数の仲間”というムラ社会に好んで所属しているのである。

タテ社会に生きる“ガンダム世代”と、ヨコ社会に住み始めた“ワンピース世代” – bpspecial ITマネジメント via 明日は明日の風が吹く

超人的な力や能力というのは少年漫画には欠かせない要素であって、ヒーローがその力を駆使して敵をやっつける点にカタルシスを感じるわけだが、メディアの発達し過ぎた現代においては、何か自分も特別な存在である、ある筈だ、といった勘違いを誘発する危険がある。大分以前から流行っている「自分探し」なんぞもこの延長線上にある。

そしてその能力は「ガンダム」においても「ニュー・タイプ」という形で登場し、それが「とても個性的な自分」の投影対象として、アムロという主人公の存在を規定している。軍に所属してはいるが、他の軍人に比べて秀でた能力を努力なしに先天的に身に付けているという設定は、「悪魔の実」を食べた人間が超人的な力を発揮するのと大差ない。ルフィーの兄エースが白ひげ海賊団という大組織の中で活躍しているようなものだ。

筆者は「タテ社会に生きる“ガンダム世代”」なんぞというが、アムロなんか自分が認められていないと知ると直ぐにヒスを起こして軍を脱走したりするなど、もともと大した帰属意識なんか持ち合わせていなかった。しかも最重要機密であったガンダムを持ち出しての行動である。通常であればかなり厳しい処罰が与えられてしかるべきところだが、その辺りは独立部隊であったからか非常時であったからか、スルーされてしまった。こんな「タテ社会」なんか現実にはあり得ないであろう。

要するに「ガンダム」と「ワンピース」の間に大した違いなんかないのであって、そこにあるのは、大きな組織に属して堅苦しい規律や複雑な人間関係に身をさらしたくない、という単なる幼児性である。これは誰にでもある感情ではあるが、皆生きるためには仕方ないと割り切った上で、そこでどう生きていくかを試行錯誤している。それが大人というものだ。テレビなどのなかった時代の人たちは、それほどメディアに毒されることがなかったために、自分が特別な存在だなんて妄想を持つ余地が少なく、嫌々ながらも組織へ帰属し、その中での振る舞い方を自分なりに身に付けていったのだ。そういった成長過程を強力に阻害するのが「個性的な自分」幻想であって、これがあるうちはなかなか素直に社会の規範を受け入れられない。

図らずも若い世代が持っているヨコ社会のイメージを象徴しているのが、このコラムを紹介していたbloggerさんのエントリだ。

ネットによってヨコ社会になってるんじゃないの?と私は思う。会社ってガンダムのように軍隊的に上下関係があってピラミッドがあって、となっているから、私もその中にいる。でも、ネットって上下関係ないし。老若男女関係なし。そしてつき合いたい人とだけつき合っていく世界でもある。大きなネット社会という中で、個々人が好き勝手な線を繋いでいるだけ。ヨコですらないのかな。点と線の世界。そんなイメージがある。

■[コラム・エッセイ]タテ社会に生きる“ガンダム世代”と、ヨコ社会に住み始めた“ワンピース世代” – bpspecial ITマネジメント(from りんごアンテナ日記) – 明日は明日の風が吹く

上下関係なし。老若男女関係なし。つき合いたい人とだけつき合っていく世界。なんて楽しそうな組織なんだ。オレだってこんな組織で楽しく仕事してみたいよ。でもそんなことが可能であるなら、とっくの昔に実現されている筈なんだ。事実、同年代だけで構成されている学生社会の中でも様々な人間関係上のトラブルや葛藤があることは、みんな嫌というほど承知しているだろう? 学校の中では嫌な奴となんか付き合わなくても済むけど、社会に出たらそうはいかないんだぜ?

結局、ここで言われている「ヨコ社会」なんて、子供じみた幼稚な妄想でしかない。「悪魔の実」なんて現実にはないんだ。麦わら海賊団なんて、ちっとやそっとじゃ作れないことくらい、“ワンピース世代” にだって分かっている。それなのに、同じような幻想を盛んに若い世代に植え付けようとしているのがモッチーであって、こいつはホント害毒以外の何者でもない。

いいんだよ、企業に所属せずに仲間内でベンチャー立ち上げたって。それが好きならそこで頑張ればいい。しかし、成功して組織が大きくなったら必ず自分たちが嫌っていたような規律を押し付け始めるんだ。しかも更に醜悪且つ最も愚劣な形でね。

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「著者がすごいすごいと繰り返すだけ」 金曜日, 5月 11 2007 

著者はそれをまるで説明しない。著者がそう思ってるだけ。じゃあ仮説なら、これを仮定すると何かすっきりした見通しがたつのか? そういうわけでもないんだな。で、続いて認識のニューロン原理ってのが出てきて、あらゆる認識はニューロン発火状態のパターンだけで説明できなくてはならないという。これは「その後にはペンペン草一つ生えない」くらいすごい破壊力を持つ原理だそうな。でも、これは証明もされてないし「革新的なポテンシャルがまだほとんど実現されていない」。実現されてないどころか、それで何が説明できるのかも全然まとまらず、著者がすごいすごいと繰り返すだけ。

Do Your Homework! – Cruel.org via YAMDAS現更新履歴

山形浩生は1997年の時点で既に茂木健一郎を取り上げていたのか。その内容はモッチーと少しも変わらないではないか。2人は出会うべくして出会ったのだな。

説明なし。仮説もなし。「著者がすごいすごいと繰り返すだけ」。

まさに「革命だ革命だ」と喚き散らす梅田本そのもの。ひょっとすると、「Web進化論」は茂木を参考にを書いたのかも。「大変だ狼が来るぞ」と騒ぎまくっていれば根拠などなくともそのまんま「すごい」と思い込んでくれる奴が世の中には大量に存在しているので、これはショーバイになるってな具合に。今度のも早くも2刷らしいし。

売れれば売れるほど、モッチーの大好きな「集団の叡智」などどこにも存在しないという事が証明される構造となっている。…なんて本も読まずに言っちゃって、実は素晴らしい内容だったらどうしよう、なんて心配は全くしていない。

梅田望夫の新刊はまた対談ものだそうだよ 火曜日, 4月 3 2007 

対話を繰り返す中で茂木さんと僕は、「この本は、細部をつついて批判するのがバカバカしいような明るい本となる」と予感し、そういう本にしたいと思った。

「フューチャリスト宣言」(梅田望夫 ・茂木健一郎共著) – My Life Between Silicon Valley and Japan

とにかく楽天的に行くから、揚げ足取るなよってか。せこっちい予防線を張るより、素直に褒めることのできる作品を作ればいいのに。今年は3冊くらい本を出すとか言ってたけど、また対談ものかい。お手軽でいいよな。でもって「フューチャリスト宣言」と来たもんだ。自分たちは「未来人」であると? よくまぁ次から次へとこれだけミーハーなセリフを持ってこれるもんだな、と感心。Futurismとなんか関係あんのかなぁ…ないんだろうなぁ…w アホが飛びつきやすそうな言葉を持ってきただけなんだろうなぁw

本の中身は「談合型エスタブリッシュメント社会をぶち壊し、新世界の側・ネットの側に賭けよう。」ってなことらしいけど、こんな古臭い対立構造しか描けない奴に未来が語れるのかねぇ。ネットでも談合は発生するであろうとか、どうせやるならネットの方が効率的にやれるだろう、みたいな想像力はないんだろうねw

わざわざ対談相手である茂木健一郎のblogへのリンクを張っているから行ってみたが、これがまた明治維新だの福沢諭吉だのって嘘臭いんだわw この手の比喩はこれまで数百万回は繰り返されてきたであろうから、迂闊に使っても笑われるだけなのに。だから、すかさず小飼弾に突っ込まれている

梅田さんにとても面白いことを沢山伺った。たとえば、アメリカの若者は、大学の教授や著名な知識人よりも、「アルファ・ブロガー」の方が偉いと思っているというのである。

今は明治。 – 茂木健一郎 クオリア日記

ホントかよwwwww どこのバカだよ、それw source見せろwwwwww つ~か、それが本当だとしても、だから何なんだwwww こんなしょーむない「予告宣伝」読んで尚、本買う奴いるのかなぁ。いるんだろうなぁ。

ウェブの進化は人類の進化だといわんばかりの梅田の戦略的オプティミズムには当初から批判があったが、『ウェブ進化論』から1年が経過した現在、ウィキペディアにしろソーシャル・ブックマークにしろ、むしろ「集合愚」じゃないかと揶揄されることが多くなってきた。まあ当然の話だ。猫でも杓子でも情報を編集できる以上、総和がノイズになるのは自明である。

ウェブ2.0的集合知(愚)が“批評の死”をヴァージョン・アップする – おまえにハートブレイク☆オーバードライブ

はてぶで目にしたんだったかな、これ。で、触発された切り込み隊長が、一気呵成に総括に掛かっているんだが、そのうちの4番目。

4)特定のオピニオンリーダーが相互に相反する主張を行ったとしても、両方のオピニオンリーダーの名声や正論の質を吟味することなしに称賛し、その結果、対立したり矛盾する立論両方を「同感」「禿同」などといって無原則に支持するネットユーザーがマジョリティを占め、空気的うなずき系ばかりが量産されること、

WEB2.0の知(笑)って、集合してるんだろうか? – 切込隊長BLOG(ブログ)

U35世代とやらに関する記事読んだときにピンと来たんだが(逆に言うとピンと来ただけなんだが)、要するに情報にたっぷり囲まれて育ってきた連中は、それにアップアップしていて、いちいち「吟味したり」する余裕も能力もなくしちまっているんじゃないかってこと。圧倒的な情報量を前にしても怯まず矢継ぎ早に役に立つもののみを取捨選択していく、なんて方向には進まず、飽食の時代だからご飯残してもヘーキ、みたいな自堕落な感じ。次々に雪崩れ込んで来る情報を「チェック」するだけで精一杯で、人の文章をちゃんと読む余裕なんてないんだろう。そうこうするうちに考える力すら失ってしまっているのね。だから、分裂君なんかに簡単に騙されちゃう。っていうか、そもそも騙される以前に、自分なりに咀嚼して理解しようという努力すらせず回りに合わせて賛同しているだけなのであろう。ぶくますること自体が一種の遊び感覚というか、作法みたいなものになっているのかも知れない。

ここまで来ると真面目に心配するのがバカバカしくなるし、明らかに騙す方に回った方が得策であって、それをやっているのが梅田望夫だってオチ。なにやら世代論みたいになってしまったが、ま、別に心配するこたぁない。いつの時代にだって騙される奴はいるし、例えU35に属していようとも賢い奴は賢いだろうから。