ワロタww 水曜日, 1月 17 2007 

『前半で批判した「倫理として職業的に知った事は黙っておくものだ」という事を、後半で自分自身が守っていないという滑稽な記事になっている。これはネタか?』

 とされたんですけど、ひょっとして、そもそものワスの指摘が的外れだったのだろうか・・・?もし、そうなら余計な手数をおかけして申し訳なかったです。

ひょっとして、ワスが最初っから的外れ? – マトモ亭

あんたが正しいwwwwwwww

このリバタリアンはバカタリアンだったわw 土曜日, 1月 6 2007 

図書館のエントリに対してTrackBackがきた。

その記事の内容に関連することだが、その頃に比べ、私はリバタリアニズムの考え方に対してより興味を覚えるようになった。なぜこんなことを書いたかというと、上記記事を引用して論じているブログ記事を見つけたからだ。

albinoalbinism – 図書館を民営化するとマンガ喫茶になる(かもwwwwww)

図書館民営化論とリバタリアニズム – 30億円を5年で貯めるブログ

大方、ぶくまで見つけて読んでみたら自分のエントリが引用されており、「笑止」なんて書かれていたものだから頭にきて反論を挑んできたところだろうが、それこそこっちの思うつぼ、早速返り討ちじゃ!

例えば、家で寝たきりの老人や、視覚に障害を持つ人にも、図書館を利用する機会は平等なのだろうか? 日本語を読めない在日の(税金を支払っている)外国人は? あるいは税金を支払うために昼間一生懸命働いていて、夜、図書館の閉館時しか自由時間の無い労働者に対してはどうなのか?

図書館民営化論とリバタリアニズム – 30億円を5年で貯めるブログ

「寝たきりの老人」は恐らく所得税は払ってないだろ。資産税は払ってるかも知れん。「視覚に障害を持つ人」は税金を免除されているのでは?「日本語を読めない外国人」は母国語の本を読めばいいじゃんwwww 図書館にだって日本語以外の言語で書かれた書籍は置いてある。そりゃあ日本語の本よりは数が少ないだろうが、ここは日本なんだから仕方ないだろwww そんなことで文句いう外国人は殆どいないと思うよ?

つーか、なんで少数派ばかり持ち出してくるのよwww 公共機関なんだから、まずは大多数の利益を優先するのが当然であって、全ての人に全く同じサービスを提供出来ないこともあるのは当たり前。小学生レベルの議論だわwwwww リバタリアニズムってこういうのを理想としているの?

たとえばリベラル派は貧困者や弱者が奴隷になってしまうのを防ぐために政府による富の再分配や法的規制を肯定し、それにより自由・平等を実現しようとする。しかし、リバタリアンは政府による富の再分配や法的規制を自由を損なうものとして否定する一方、平等が実現されるべきであるとは考えない。リベラリズムはリバタリアニズムを個人的自由・社会的自由を失うものとして批判する。

リバタリアニズム – Wikipedia

あー、こりゃダメだわwwwww

私の利用している図書館では、インターネットを介して書籍を検索し、貸出の予約申込をすることができる。本が空くとメールで連絡が来る。(これは非常に便利だ。)だが、ネットやメールの利用の機会は果たして「平等に与えられている」のだろうか?

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バカですか? これは従来行っていなかったサービスを新しく追加して利便性を高めただけの話。だからと言って全ての住民にPCと回線を提供しろと!?

家の隣に図書館がある人と、徒歩20分の人(私のことだ)にとって、機会は本当に平等だろうか? 我が家の隣に図書館がないのはなぜなのか? これは不平等ではないのだろうか?

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バカですか? wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

……揚げ足を取りたいわけではない。もちろん問題は「落としどころ」をどこにするべきかということなのだが、ここで言いたいのは、その落としどころを決める基準は一体何なのか、ということである。

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知らんわwwwww 勝手に考えてwwwwwwwww

図書館が必要だと思うならば、必要だと思う人たちでお金を出し合って運営すればいい。寄付を募ってもいいし、利用料を取る形態でもいい。ともあれ、自ら労働し稼いだお金を別のこと使いたい人は、放っておいてあげるべきだ。使途は彼が決める。リバタリアンはそう考えるのである。

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あー、小学校の学級会でこういうこと言うやついたなー。「やりたい人だけやればいいじゃん!」ってねw 俺も言ったかも知れん。なにやら急に親近感が沸いてきたぞwww(嘘)

事業が立ち行かず潰れるのは、市場ニーズが無い場合だけではない。ニーズを無視した放漫経営を続け、赤字を垂れ流せば、その事業は続かない。

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それ、同じことじゃんwwww

問題は、放漫経営であっても、国や地方自治体の援助に頼れば、その事業体は生き残れてしまうこと、そしてそのことがより効率的な事業体の新規参入を妨げることだ。

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これはその通りだが、民間委託であれば経費削減が目的であって、放漫経営がその原因であるかはわからない。民営化は更にその先の話だ。

結果、誰が得をするのだろうか? 放漫な経営で得をするのは誰か? そうした事例を、我々は頓に目にしているのでは無いだろうか?

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「頓に」の使い方ってそれで大丈夫?

頓に,とみに,suddenly, repidly

頓知のある,とんちのある,quick-witted

整頓,せいとん,tidying up

頓 – 3860

また、図書館の存在が書籍の販売そのものに対して影響を及ぼしているという事実もある。図書館員の時給と書店員の時給、どちらを重視すべきなのか。多数派の市民は(あるいは少数の専門家は)、そのような全ての経済的影響を完全に考慮した上で計画を立て、常に適切な決定を下せるのだろうか。

図書館民営化論とリバタリアニズム – 30億円を5年で貯めるブログ

その「事実」とやらを証明するデータ示してー。図書館のせいで書店が苦境に陥っているって話はあーんまり聞いたことないんで是非。

また、市場ニーズがどうあろうと、図書館は文化を守り、庶民を啓蒙するために必要な公共財なのだ、という主張もある。それに対しては、図書館の数や規模を、(市場の機能に加えて)自由意志による寄付でやっていける範囲に留めればよい、と答える。それでも、図書館を効率的に運営するインセンティブがより高まることは明白である。

図書館民営化論とリバタリアニズム – 30億円を5年で貯めるブログ

寄付なんかで図書館が回していけるなんて本気で思ってるの!? あんた図書館行ったことないでしょ。国会図書館とかその他の大きなところを除けば、図書館を最も利用しているのは小さな子供たちと引退後のお年寄りだよ? でもって「市場の機能に加えて」なんて言ってるけど、それと寄付とを具体的にはどう組み合わせていくのさ?

要するに、多数派市民なり少数の専門家なりが「計画」を立ててそれを個人に強制するよりも、市場に任せて放っておいた方がより「うまくいく」ということだ。一つ目の考え方で触れた「落としどころ」についても、全ての人が最も満足するところに落ち着くはずだ。そういう意味において、図書館の質は高まるだろう。(図書館の「質」とは「計画の実現度合い」のことである、というのならその限りではない。)

図書館民営化論とリバタリアニズム – 30億円を5年で貯めるブログ

「全ての人」ではなくて、あんたらリバタリアンが自己満足するだけだろ。なんだか吐き気がしてきたぜ。

なお、上記は、ある図書館を民営化すればその図書館はうまく存続する、と言っているわけではないことは明らかであろう。さらに、様々な保護や規制が絡んでいる限り、本当の意味での効率化は難しい。

図書館民営化論とリバタリアニズム – 30億円を5年で貯めるブログ

゜Д゜) ハア??

「市場に任せて放っておいた方がより『うまくいく』」とか言ってたくせに民営化はしないの!? 「保護や規制」が邪魔なら、それを取っ払うところまでやるべきだろ。中途半端だなー。

以上、リバタリアニズムの二つの考え方を示した。はっきり言えば、特にこの国においては、大多数の人々には丸々とは受け容れがたい言説であろうと思う。私も、自分のことをリバタリアンであるとは、言えない(少なくとも今のところは)。

図書館民営化論とリバタリアニズム – 30億円を5年で貯めるブログ

あんた、リバタリアニズムを吹聴したいだけで本当に図書館のことを考えている訳じゃないじゃないか。ネタ・エントリに青筋立てて怒鳴り込んでくるから、どんなものかと読んでみればやっぱりバカか。「少なくとも今のところ」バカタリアンとは言えるから安心しな!

俺は程よく日差しの差し込む図書館の部屋で子供が仲良く本を読んだり、係りの人やお母さんが紙芝居を読んであげたりしている光景が大好きなんだよ。あんたみたいなナントカismを披露したいだけの奴に口を出して欲しくないね!!

「カルテルの啓蒙」 木曜日, 1月 4 2007 

放送業界の掟なんぞは知らないが。

映画プロデューサ亀山千広氏が企業の壁を超えて啓蒙活動をおこないました.

 * 痛いニュース(ノ∀`):「業界の暗黙のルール破られた!」 映画デスノートめぐりフジが日テレに激怒

フジテレビというとあんなイメージやこんなイメージしかなかったのですが...このように自社だけではなく業界全体に貢献する企業内個人が所属企業のイメージアップに継るのですね.

Wikipediaを見ると亀山の独立した項目がありました.それによると「日本で数少ない、良い意味で映画を「ビジネス」として見ている人物」なのだそうです.この日本テレビに対する働きかけも「良い意味で映画をビジネスとして見ている」が故の行為なのでしょう.ちょっといい話なので氏の項目に追記しました.

 * カルテルの啓蒙

これまで埋もれがちだった企業内個人の「ちょっといい話」が時間とともに蓄積されていくといいですね.永遠に.

守谷知 / ハードウェアエンジニア

http://www.dlareme.org/

Wikipediaに蓄積する企業内個人のちょっといい話 – FPN

ちょっと前に痛いニュース(ノ∀`)で取り上げられていたやつだよな。日テレが、地上波放送は1年後という業界内の“暗黙のルール”を破って「デスノート」後編公開直前に前編の方をテレビ放映した事に対して、フジテレビ亀山千広映画事業局長が「噛み付い」たとかいうもの。その行為を守谷知という人がFPNで褒めているというわけだ。

製作した映画を自分のところの電波を使って宣伝するのは「ルール」違反ということなんであろうが、痛いニュース(ノ∀`)では「暗黙のルール破ってキレられてもなw」とか「見る側には暗黙のルールなんてどうでもいい」なんて否定的な意見が大勢を占めている。TVのことはよく分からんが、確かに視聴者には関係のない話ではあるものの、一方で業界における倫理徹底という意味では評価できるような気もする。

気になったのは、この守谷氏がWikipediaの「氏の項目に追記した」という文面。

カルテルの啓蒙

日本テレビが2006年10月に映画 前編『デスノート』の地上波放送を行った。しかし映画公開後1年を経ないでの地上波放送であったため、これが業界のカルテルを破っているとして日本テレビに対して注意した。

亀山千広 – Wikipedia

image

「カルテルの啓蒙」ですよ、奥さんwwwww どう思います?

カルテルは独占禁止法に抵触することをこの人は知らないのかwwwwww

亀山千広映画事業局長が行ったのは恐らく抗議だと推測されるのだが、ここでは「啓蒙」とされているしwwwww

これまで埋もれがちだったFPNの「ちょっとおかしな話」が時間とともに蓄積されていくといいですね.永遠に.

凄いなぁ。どんどん壊れていってる。 水曜日, 1月 3 2007 

鳥越: (中略)もう一つは色んな職業の人に市民記者になってもらいたいわけなんですね。会社の中で言いたいけれど言えないことを書いてもらったり、その道のプロだけれども物書きのプロでない人が参加してくれればいいのかなと。オーマイニュースを見ていても、僕らではわからない専門的な記事もありますから、そういう人が来てくれればしめたものかなぁと。中央官庁の役人が、実名で内部の腐敗を書いてもらえると活気付くと思いますね。

初笑いがまだのかたへ – finalventの日記

上記は引用元の中の引用文ね。リンク辿るとJ-CASTじゃなくてLivedoor Newsに行っちゃうんだけど。

「会社の中で言いたいけれど言えないことを」実名で書けるかってーの。

「中央官庁の役人が、実名で内部の腐敗を書い」たら確かに「活気付く」であろうが、そんな面白いキャリアがいるかね。

大森: 新聞も記事に署名を入れるようにだんだんなってきていますね。

鳥越: 名前を入れることによって客観性、公平性を担保するということなんです。

鳥越俊太郎に聞く(2) ネットでも実名文化がいい – J-CASTニュース

「名前を入れることによって客観性、公平性を担保する」って全然分からない。複数で記事を書くならまだしも。編集主幹が記事をチェックするのは名前とは関係がない。逆に、匿名と実名で主観性が変わってくる訳でもなかろう。

暇だからTrackbackに返事でもするか。 火曜日, 1月 2 2007 

しかし、このシナリオは全て、「労働者の過半数がそのような高能率労働者になれれば」という前提に依存している。

のというのがまず違う。なれれば、というのではなく、高能率労働しか仕事がない社会だろう。

久々に面白Blogチェック – 廃星blog

いや、あのねー、これは「分裂勘違い劇場」さんの記事の引用であって、オレが言ったことじゃないんだけど。更に、「分裂勘違い劇場」さんは「低能率労働者」の存在も示唆しているので「高能率労働しか仕事がない社会」なんてことは言っていない。そんな社会はあり得ないし、シミュレーションとして設定したとしても意味はない。

そんなことより、「労働者の過半数がそのような高能率労働者に」なっちゃったら「高能率労働者」自体が余ってくることのほうが心配だ。

なので、失業はあり得るとしても、「高能率労働者だから余る」ことはあり得ない。輸出することもできる、というだけの話なのでは。最高。

久々に面白Blogチェック – 廃星blog

労働市場が完璧に機能しない限り「余り」は出てくる。そして輸出期の国における失業にも触れておいたんだが、それについては?

そもそも「労働者の過半数がそのような高能率労働者に」なっちゃったら、そいつらは既に「高能率労働者」なんかじゃないのよ。

そうかな。少なくとも、200年前どころか、堺屋云々の20年前よりも、個人が生産性を上げるための知識もツールも増えていると思うが。

久々に面白Blogチェック – 廃星blog

「知識もツールも増えて」いたって、相変わらずマクロも組めない連中がいることは「分裂勘違い劇場」さんが述べている。そして、多くの人がマクロを習得したとき、それは「低能率」な作業となってしまうことが怖いのだ。あなた、読み書きできるでしょ? (あまり出来ないようだが。→後述)でもそれは数百年前なら一部の人間にしか出来ないことで、そいつらはその社会では付加価値の高い「高効率」の仕事をしていたのだ。

ようは、単純労働者の側に立って(?)、いつの時代にも言われてきたことだから、焦ることないですよ、と言いたいのだろうか。

久々に面白Blogチェック – 廃星blog

焦れと言っているのだ。技術とか知識とかがどんどん単純労働者の食い扶持を奪っていくのだから。

しかし、レジ打ちなんぞで安い給料で時間を売ることをよしとすることに比べたら、希望のある話だと思うのだが。

久々に面白Blogチェック – 廃星blog

「高効率労働者」になることを強いられているのに何が「希望のある話だと思」ったのか分からない。医者や弁護士や経営のプロとか、他にもいろいろあると思うけど、それら高付加価値を提供する人間が高い報酬を得る一方で、「低能率労働者」が薄給に甘んじていなければならない、その格差がますます広がっていくという話なのだぞ。

そして、その「高能率労働者」だって数が増えれば競争に晒される。アメリカじゃ弁護士が余っていて、トラブルを見つけちゃ「私が弁護をするから裁判を起こしましょう」なんてやっているくらいだ。

いい社会だよな、これ。その社会の到来に受けてがんばりたい。

単純労働の提供と享受を恥とする倫理が形成されているってのが面白いな。

前提なのか帰結なのか。

この記事に対するミスリーディングな、というより、つまんない読み方するなあ、という批判も発見。

久々に面白Blogチェック – 廃星blog

「希望のある話」とか「がんばりたい」とか言っているところを見ると、自分は「高能率労働者」になれると単純に考えているようだが、それはそれで結構なことなので、是非とも精進して頂きたい。

しかし、「分裂勘違い劇場」さんは「単純労働の提供と享受を恥とする倫理が形成されている」なんて一言も言っていないし、「この記事に対するミスリーディングな、というより、つまんない読み方するなあ、という批判も発見」なんて書き方だと、オレが誰かに対して「ミスリーディング」で「つまんない読み方するなあ、という批判」をして、あなたがそれを「発見」したという意味になってしまうのだが。

「ミスリーディング」しているのはあなた。作文ももっと勉強してください。

まったく、字は読めても文章を読解する能力のない連中が多いのにはあきれ果てる。小学生のうちから英語を教えるなんてのがナンセンスである証拠だ。もっともっと国語を勉強させねば。

そして、このような状況下で如何にして「高効率労働者」を「過半数」にするかの方法が全く示されていないところが「分裂勘違い劇場」さんのエントリに対するオレの「批判」なのだ。「高効率労働者」が増えればマンセーなのは言うまでもない当たり前のことであって、どうやってそれを実現するかを述べなければ全く意味がない。「いい社会だよな、これ」と言っているだけではそんな社会は来ない。

「大多数が高給取りになれ」るんなら、そりゃあいいよねw 月曜日, 1月 1 2007 

世界には、労働力マーケットが2つある。

高能率労働者マーケットと低能率労働者マーケットだ。

大多数が高給取りになれる豊かな社会の作り方 – 分裂勘違い君劇場

相変わらずの扇動的なネタ・エントリに釣られている人がいるようだが、似たような議論は20年以上も前にRobert Reich堺屋太一がやっちゃってるんだけど。

Preparing Ourselves for 21st Century Capitalism 

「高能率」とか言うから何かと思えばExcel VBA程度の話だったのには脱力。

しかし、このシナリオは全て、「労働者の過半数がそのような高能率労働者になれれば」という前提に依存している。

子供のときから算数が嫌いで、コンピュータもいまいち好きになれず、ブラインドタッチすら怪しく、しょっちゅう手元を確認しながらキーを叩いていて、ショートカットキーを使って生産性を上げようなどという発想も浮かばない、けれど、明るくて、化粧が上手で、合コンではモテモテの営業事務のオネーチャンが、はたして、営業の人たちのニーズをくみ上げ、要求分析し、業務フローを整理し、全体の情報の流れを戦略的にシステム化し、自動化し、より生産性の高いものへと、改良していくなんてできるようになるのだろうか?

大多数が高給取りになれる豊かな社会の作り方 – 分裂勘違い君劇場

「明るくて、化粧が上手で、合コンではモテモテの」オネーチャンやオニーチャンは営業に回しましょうw 変にPCに詳しい奴よりよっぽど人心の機微を理解するのに長けているだろう。とりわけ日本社会は人間関係がショーバイの要だったりするからさ。

そんなことより、「労働者の過半数がそのような高能率労働者に」なっちゃったら「高能率労働者」自体が余ってくることのほうが心配だ。エントリでは「輸出」しようという話になっているが、うん、まぁこれはアメリカのIT関連の仕事がインドに流れている現実を見ても的外れではない。だからと言って、すぐに「太陽電池を安価に量産する方法の製法特許」が取れたり、「老化による細胞の微細構造の劣化を分子的に修正するタンパク質マシーンを開発」出来たりするとも思えないけどね。

しかし、これでは「輸出先」にいる相対的に「低能率」の労働者の仕事を奪うことになるけど、その問題はどうでもいいのか。国家戦略として語っているのだから、その辺りは取り敢えず目を瞑ろうってことなのかな。

あらゆる単純作業の労働者を、単純作業を自動システムで置き換える労働をする人間へ転換することが、はたして可能なのか、という問題だ。

大多数が高給取りになれる豊かな社会の作り方 – 分裂勘違い君劇場

このエントリで一番気に掛かったのがこの部分。だってタイトルでは「作り方」って書いてあるのに、「高能率労働者」が増えればってだけで、結局それをどうやって成し遂げるのかは分からないんでしょ? 「単純作業を自動システムで置き換え」ても失業者が増えるだけで、「大多数が高給取りになれる豊かな社会」なんて来やしない。

「効率」なんて言葉を使っているからマクロだの「単純作業」だのと言った具合に話が矮小化されてしまっている。200年前のラッダイト運動当時のハナシをオフィスに移しただけの、技術が単純労働を自動化していくから付加価値を創造できないとヤヴァいですよという、これまた語られ尽くした新鮮味のない内容だ。

「愛国心はただ」wwww 月曜日, 1月 1 2007 

全体の名誉が、そこに帰属している人の名誉にも繋がるという関係がある。それに「国のため」という方向で利害関係を一致させておけば効率が良いな。

これを「国」とか「民族」という括りにして、愛国心という概念を使ってしまえば良い。

愛国心って言うだけなら元手はタダだし。

社会の中で一番価値が高いのは「モチベーション」だとすると、愛国心ってのはそれをタダ同然で買えるうまいシステムだよなぁ – void GraphicWizardsLair( void ); // via はてなブックマーク > 注目エントリー

アホか。

戦時中の戦意高揚映画の制作費や特高警察の維持費が只なのか。賛成する奴にそれを言わせるコストも反対する奴を取り締まるコストもめっちゃかかる。そんな事言うなら、あんた自身がblogのエントリだけで日本中の愛国心を喚起して何かの方向に国民を扇動してみな。記事を書く電気代と時間くらいは「タダ同然」と見なせるだろうからさwwww

グーグルならば精度の高い株価予測を行なうことはできるだろうwwww 日曜日, 12月 31 2006 

おそらく、グーグルならば精度の高い株価予測を行なうことはできるだろう。

わかることから書き始めてわからなくなるまで書く – アンカテ(Uncategorizable Blog)

どうやって!!!!

Googleさまに不可能なことはないと? 笑けるなぁw

少しは金融関係の本でも読んでからポストしたらどうか。

それがもしスタートして現実に高い予測精度を示したら、グーグルの予測に従って売買するファンドができて、そこに資金が集中して一瞬でバブルになる。それをしないプレーヤーからは資金が逃げ出す。そしてすぐにバブルがはじけて暴落する。そういう乱高下は予測できない。

わかることから書き始めてわからなくなるまで書く – アンカテ(Uncategorizable Blog)

わざわざファンドなんかに金を預けなくても「グーグルの予測」に従って自分で投資すればいいじゃんw

「それをしないプレーヤーからは資金が逃げ出す」と、なんで「バブルがはじけて暴落する」のよ? つーか、「バブル」って時点で既にダメじゃんw

「そういう乱高下は予測できない」なら結局その「精度」なんてちっとも高くないじゃんw

Google Financeがちょっとリニューアルしたくらいで、ここまで妄想が広がるものなのか。「グーグルが株式市場という世界をわかってしまうことはできる」なんて断言しているが、具体的にGoogleなら何をどう「わかる」のかについては何も考えてないだろ。「世界中の情報を集める」なんて梅田本の影響を受けたのか。

たかだか過去の株価データとニュース発表を組み合わせただけで「予測」なんぞ出来る筈がないだろ。仮にGoogleが調子に乗って投資顧問の真似事を始めたとして、みんながそれに乗っかった時に発生するのはまさに「バブル」である。

….で、「I革命」って結局なんなのよ? 金曜日, 12月 8 2006 

日経BPによる梅田望夫のインタビューに、いちいちケチをつけてみたw
まぁ~~相変わらず突っ込みどころ満載だわw

>日本の経営者や,ITの専門家と言われている人たちは,つい最近までインターネットの世界について分かったふりをしていました。

おまえおまえ、それおまえ。

>特にITの専門家の人たちは,「ITのことは知っている」という自己認識がある。だから,インターネットの世界について,分かったふりをする。さらには,分かったふりをするために,理解したつもりになる。そのような悪循環に陥って,結果としてインターネットの世界を過小評価していました。

おまえは過大評価してる。

>ウェブ進化論を通じて,「これからは,そのような認識ではまずいことになりますよ」と申し上げたかったのです。

具体的になにがどうまずいことになるってんだ?

>1995 年を「インターネット元年」だとすると,その後99年から2000年ごろまでは,日本企業の経営者も,ITの専門家の人たちも,「インターネットの登場で,ものすごく大きな事が目の前で起きようとしている」という思いを持っていました。だから当時は皆さんすごく勉強していたし,いろいろなことにトライしようとしていた。当然,苦労もしていたわけですが。

してねえしてねえ。「ITの専門家」(って誰?)はともかく、経営者なんかいまだにPCもろくすっぽ使えん。

>僕は当時,日本のクライアント企業から絶え間なく質問を受けていました。「シリコンバレーで何が起きているのか」とね。3か月ごとに米国に来る社長が,そのたびに僕に会いたいと必ずおっしゃるとか,そういう状況が1995年から2000年頃まではずっと続いていました。

人に聞いている時点でもう駄目。なんで自分でアクセスしないんだ。余計なコンサル料を払って経営資源を浪費してどーする。

>ところが,2000年に起きたネットバブルの崩壊を機に,日本の大手企業のほとんどは「インターネットは大体こんなもんだ」と結論づけました。インターネットは,自分たち大企業を脅かすことはない存在だ。インターネットは自分たちのビジネスを便利にするための道具として,つまみ食いすればいいんだ。そのような認識です。

所詮、爺連中は株価が高かったから関心を持っていただけに過ぎないって事が分かったろ?
しかし、「つまみ食い」ってのは言葉が悪いけど、「自分たちのビジネスを便利にするための道具として」活用することは企業として極めて当たり前の行為であって何も悪くねーじゃねーか。PCだってネットだって単なる道具に過ぎないのであって、それ以上の何か訳の分からないものに祭り上げようとしているのはお前だけだっつーの!

>一方,アメリカでは2004年から潮目が完全に変わった。グーグル(Google)の台頭を含めて,「これは大変なことが起ころうとしている」という認識が芽生えはじめた。つまり,日米における認識のギャップがすごく大きくなった。

「大変なこと」ってどんなことよ?

>2004年から2005年頃,私がいくら日本企業に対してこの変化を説明しても,誰も分かってくれなかった。「潮目が変わって,IT産業が新しいフェーズに入ったんです。ものすごく大きなインパクトを与えます」。こう話をしても,分かってくれませんでした。

何が大変なのかも具体的に説明してねえんだから、誰も分かってくれないのはあたりめーだろ!!独りよがりもいい加減にしろっつーの!

>―― 2004年における一番大きな変化は何だったのでしょうか。
>やはりグーグルの登場です。新時代のコンピュータ・メーカーです。

はあ? なに言ってんだろこのひと。Googleの創業はもっと前なんだけど。それとも上場のことを言ってるの? 高株価に注目しただけならネットバブルのときと何も変わらないじゃない。「コンピュータ・メーカー」ってなによ? 自作してるからって、それを他人に販売していないかぎり生業としてメーカーと呼ぶことが果たして適当か??

>これに対して,グーグルのインフラは自作です。ハードは調達しやすい安価なパソコンを使う。パソコン単体の信頼性については,一切追及しない。常時50万台,60万台のコンピュータを相互に接続して使っている。これだけの台数を動かしていると何パーセントかは故障しているでしょうが,その上で動く自作OS や自作ソフトで,可用性を高めているわけです。

あのさあ、「自作OS や自作ソフト」でマイクロソフトの牙城を崩すとまではいかなくても市場においてある程度のシェアを取る事が出来てはじめて凄いんであって、Googleは自分たちで使ってるだけでしょ? Windows登場以降でも、BeOSとか他にも面白いものを作った人たちは一杯いたけど、結局はマーケットで存在感を示すことが出来ずにどこかへ消えてしまったが、Googleがただ単に作って自分で使っている事がそんなに凄いなら、なんでその人たちのことも褒めないの?

>米アマゾン・ドットコム(Amazon.com)や楽天といった「第1期ネット企業」は,サービスを提供するのに普通のコンピュータを使っていました。グーグルのように,新しいコンピュータ・アーキテクチャを用意して,ユーティリティ・コンピューティングや新しいネット・サービスをやろうとしたわけではない。

そんなことユーザーには関係ないんだよ!ヽ( `皿´ )ノ なにバカ言ってんの。

>最近では電子メールやワープロ,表計算のソフトをコンピューティング・リソースとして提供し始めた。要するに,個人の知的生産に使う道具は全てグーグルが提供します,というわけです。

単なるダンピングと独占じゃねーか。(#゚Д゚)

>グーグルがやろうとしているのは,「IT(情報技術)革命」ならぬ「I(情報)革命」です。グーグルは自身のインフラを使って,世界中の情報を全部整理し,提供しようとしています。グーグルは,情報の世界に革命的な変化をもたらそうとしています。

威嚇広告かこれは。扇情的な言葉でさも何か大変な事が起こっているかのように吹聴するが、その中身はまったく語る事が出来ない。「Googleさまがくる!Googleさまはすごい!」って叫んでるだけ。まるで新興宗教の広報担当。Googleに頼まれたわけでもなく勝手に叫んでいるところが滑稽w

>今,全世界の広告産業の規模は,狭い定義でも50兆円,販促やマーケティング費用なども含めれば100兆円の規模です。さらに,ロングテールの部分,つまり,今まで広告を出してこなかった人たちが使うであろうお金がさらに50兆円あるとみています。

どっから出て来たのその値段。まず、ソースと推論過程を示せっちゅーの。

>50兆円もの額がまるごとネットに移ってくることはないでしょうが,3兆円の10倍,つまり30兆円も原資があれば,全世界の個人が使うITニーズは,すべて受益者非負担で提供できるはずです。米マイクロソフトの売上高は法人向け・個人向けを含めて約5兆円です。それを考えれば,十分な金額でしょう。

不明確な根拠に基づく取らぬ狸の皮算用やめいwwww

>要するに,性格がまったく違うITインフラが二つできるわけです。受益者非負担のインフラと,受益者負担のインフラです。

タダかそうでないかってだけの違いをよくもまあここまで大袈裟に言えるなぁ。( ´゚д゚`)

>もちろん同じITの世界の話ですから,二つのインフラに接点はあります。米セールスフォース・ドットコムが提供しているようなSaaS(Software as a Service)アプリケーションはその代表例です。しかし,企業向けユーティリティ・コンピューティングは,米国でも期待していたようにはまだ伸びていませんね。

確かにまだ伸びてない。伸びるかね、これ。既にOfficeの入ってるPCが完備されている企業がわざわざSaaSに移行するメリットってなに? 共有? IT系企業ならともかく一般の企業でネット越しに文書を添削するようなめんどいことするか? 上司にレポートのドラフトを提出する際に、Google Docs & Spreadsheetsにアクセスしてもらって、IDとPass入れてもらって、おっとその前にブラウザ立ち上げてもらって…なんてこと要求できるか? 「ぐたぐた言ってないでプリントしたモン持って来い!!」って怒鳴られるのがオチだろ。

>ただ,接点のマーケットは今のところまだそんなに大きくない。基幹システムを構築しているような大手ITベンダーの場合は,意識の5%程度をそこに充てて,常に探検しているという姿勢をとるのが良いのではないでしょうか。

おいおいおい。じゃあ「革命」とやらは一体いつ起きたんだよ!

>一つ,面白い例を紹介しましょう。顔を識別する技術を持つライヤ(riya)という会社が米国にあります。

Riyaを「ライヤ」なんて言ってる人はじめて見た。Main marketing and PR personであるTara Huntはそんな発音してなかったけど? この人、本当にシリコンバレーで活動してるのかね? 春先からFace Recognition技術で有名な会社だったから、現地で話題にすることくらいあったろうに。PC画面の字面読むだけなら別にどこにいたって構わない筈で、結局、シリコンバレーに居を構えているなんてのはコンサルに箔を付けるための看板に過ぎないんだろ。そんなものをあり難がるバカが多いのも問題なんだけどさ。

>10年前なら,こうした技術はまず業務への適用を考えたでしょう。…(中略)…ライヤの場合は違います。…(中略)…面白いものだから,どんどんユーザーが増えて,どんどんアルバムが増えている。ネットはトラフィックさえワッと来れば広告収入でビジネスが成り立つから,商用化のメドも立ちやすい。少人数でやっている会社なら,サイトの人気さえ出てくればすぐに黒字になる。昔だったら考えられないことでしょう。

確かに、いきなり個人向けにタダで新しい技術(によるサービス)を提供してしまうことは昔なら考えられなかった….かぁ?
テレビやラジオが何十年も前からやってんじゃねーか!! コンテンツやサービスをタダで提供して広告費で賄うのはメディアの古典的なビジネスモデル。ネットだってメディアなんだからおんなじこと。
「ネットはこれまでとは全く違う新しいもの」などと思い込まない限りショーバイにならないどころか自我まで崩れちまうんじゃねえのか? ウソも百篇繰り返しているうちに自分自身が信じこむ始末ってやつか。その結果あたりまえのことが見えなくなっちまってる。

>最近,僕が日本企業にアドバイスしているのは,研究所で開発しているソフトウエア系の新技術は,まずはインターネットのサービスに組み込んで育てたらどうか,ということです。(中略)ただ,コンピュータ・サイエンスを学んできた若い技術者が,技術を磨き,新ビジネスを生み出す機会を得る場所は,エンタープライズの側にはかなり少なくなったと思います。

じゃあ聞くけど、Googleがその「自作OS や自作ソフト」を開発する際にネットに開放したのか? 「エンタープライズ」の中で作ったんじゃねーか!

>現状では,グーグルが何をするかを見ることで,ネットの動きはかなり見えてくる。動画共有サイトのユーチューブ(YouTube)を10月に買収したのはいい例です。

なにこの結果論w Google以外のどこかがYouTubeを買ってたらなんと言うつもりだったんだろ。
第一、Googleが買収するずっと前から「ネットの動き」は見えてたろ。それを見てGoogleも食指を伸ばしたんだよ。買収のニュースで初めてYouTubeや、あるいはVideo Sharing Sitesを巡る動きを知ったなんてトロい奴は…….ああ、そうか。そーゆーのがコンサル先なんだ(´Д`;)

>ユーチューブは2006年最も話題になった企業です。つまり,ユーチューブはネット産業における2006年の差分だった。それをグーグルが買い取った。要するに,グーグルはネット産業における2006年の差分を全部買い取ったわけです。

ずうずうしい。アンタの本と現実との「差分」だろーがよ。

>1.0のインフラがなくなって2.0のインフラに切り替わるわけではなく,1.0のインフラがどんどん大きくなっていって,その上に2.0が始まったのです。だから,3.0が生まれるのは,少なくとも5年か10年は先でしょう。ちょっとした目先の変化をとらえて,3.0と言うべきではないと思います。

ちょっとした目先の変化をとらえて「革命」だの言うのもよせwww

>「この共通項は何なのだろう」,それから「これはどのくらい大きな波なのだろう」ということをみんな2004年頃から考え始めていた。その間に,グーグルが売上を伸ばし,上場し,どんどん株価が上がっていった。リアルマネーがきちんとそこで動き始めているという共通認識が出来上がったところで,「ああ,これってWeb2.0だったんだ」という結論に落ち着いた。

ええええ?? 「リアルマネー」が動いているWeb2.0系企業なんてどれだけあるんだ? まさかVCのカネが動いてます、なんて逃げが用意されているんじゃないだろな。ここでは、ちゃんと収益が立つという意味での 「リアルマネー」じゃなきゃ駄目だろ。そんなのGoogleのほかにいくつあるってーの? 本当に「リアルマネーがきちんとそこで動き始めている」んなら、なんでみんなM&AばっかしでIPOを選択しないの? いい加減なこと言うなよなー。

>9.11(2001年に発生した米国の同時多発テロ事件)の後,自分より年上の人に会う時間をつぶしてでも,若い世代と付き合って,若い世代からいろいろなことを教わろうと決心しました。そのように生き方と考え方を変えたから,僕は「ウェブ進化論」を書くことができました。

ネットバブルが弾けた途端に爺さん連中(クライアン)トがいなくなっちゃっただけなんじゃないの?
「若い世代」なんかに教わらなくとも、あんな本に書かれていることぐらいフツーにネットしてりゃ誰でも知ってる。

煽り文句の耐えられない軽さ 火曜日, 11月 21 2006 

インターネットの到来から12年がたった。今起きていることの本質は、情報技術(IT)によって私たちの暮らしの利便性が向上するというようなところにはない。情報(I)そのもののあり方が劇的に変化しようとしていることこそがその本質だと理解すべきである。進行中なのは「IT革命」ではなく「I革命」である。この方向に巨大事業の鉱脈が存在することがはっきりしたため、グーグル1社だけでなく多くの競争者が切磋琢磨(せっさたくま)して「I革命」は米国を基点に激しいスピードで進展していくことだろう。
【正論】梅田望夫 「IT革命」から「I革命」の時代へ – iZa via はてなブックマーク 最近の人気エントリー

「今起きていることの本質」だの「劇的に変化」だの「巨大事業の鉱脈」だの、相も変わらず煽り系のセリフ満載だが、例によって具体的な説明は何もない。

「情報(I)そのもののあり方」って、そもそも何を意味してるの?
それが「劇的に変化しようとしている」って、どんな風に?
「I革命」って、またBuzzword??
「巨大事業の鉱脈が存在することがはっきりして」んなら、そんないいコト人に教えないで、さっさと自分で事業起こしたら?

例えPCも触った事がなく、勿論ネットもろくにやった事がない人にだって、こんな駄文はいくらでも書けるだろう。芝居掛かったセリフを散りばめて、さも何か重要なことが起こっているかのように装えばよく、そしてそれが何かを説明しなくとも良いと来れば、これは実に簡単なことだ。

これがハッタリでないことを証明するなら具体例を挙げて事象を説明すべきだと思うが、いつもGoogleに関する誰でも知っているような事実を得意げに取り上げた後に変化だ革命だと叫ぶだけ。この記事の前半でも長々とGoogleのことが書かれているのだが、その後の文章との関連はさっぱり分からない。

なんだってこの人はいつもいつも、スネ夫がジャイアンのトラの威を借りるが如くGoogleさま、Googleさまって喚いているんだろう。佐々木俊尚とかJohn Battelleみたいに内情をレポートしたり分析したりするならともかく、頼まれてもいないのに勝手に持ち上げては祭りたてている。それによって本が売れたんだから本人はいいんだろうけどさ。スネ夫と違うのは、当のジャイアン(Google)からは殆ど認知されていないところか。

Blogのタイトルからするとシリコン・バレーに居住していることをウリにしているようだが、それにしてはEric Schmidtや創業者連中と直接コンタクト取っているような様子もないし、Michael Arringtonのようにスタート・アップしたベンチャーの創業者に招かれて、一足早くそのサービスをレポートするわけでもない。一般に報道されているような事柄を書くだけなら、別にシリコン・バレーにいる必要もないだろう。既に誰でも知ってるんだし、知らない人は元々ネットになんか大して興味を持っていなかったんだろう。

コンサルを営むにおいてはそんなものもウリにする必要があるかも知れず、それは需要と供給も問題であるから他人が口を挟むことではないにしても、そこはかとない空しさを感じてしまうのもまた事実である。

「無断リンク」とやらについて 日曜日, 10月 15 2006 

 リンクを張らせろとかいうしゃらくせぇメールはよこすなバカ野郎! ケチなんかつけねーから、どこへでも黙ってさっさと張れ! そういうメールをよこしやがったら、断るからな。いちいち相手の身元を確認していいの悪いの判断するほど暇じゃねーんだ! そんなけちくさい真似するくらいなら、最初っから無料でこんなもん公開したりしねーぞ! 世間様におめもじさせられねぇと思ったら、その時点で引っ込めるわい。

 黙って張る分にはなんの文句もつけない。絶賛リンクも結構、「こんなバカがいる」的罵倒嘲笑リンクも大いに結構。煮るなり焼くなり好きにしやがれ。ファンメールもかねた事後報告もオッケー。あとおひねりでもくれるってんなら、もらってやるからありがたく思え。いいの悪いの返事も書いて愛想の一つも振りまこうってなもんだ。

でも、そうでなきゃそんなメール受け取って、読んで、おまけに返事書くだけのコストを、なんでこのオレが負担してやんなきゃならんのだ。しかもそういうメールに限って、クソていねいでまわりっくどくてあいさつと社交辞令ばっかで、いつまでたっても用件がはじまんないで、長ったらしくて官僚的で、他人に配慮してるようなツラして実は自分のケツをカバーすることしか考えてねーのが見え見え。

 どうしても許可がないとリンク張りがリスキーだと思うんなら、明示的に許可がないと法的にリンクが困難とかいうんなら、そんなとこはリンクしていただかないで結構。黙ってリンクしていいという文章を読んで、それを理解する能力がないやつ(個人法人を問わず)なんか相手にしてられっか!

 丸ごとコピーしたいときも、文章自体を変えないで(変える場合にも変えたところを明示すればオッケー)、もとのURLと版権と、転載自由だってのさえ明記すればなーんも文句はつけないので、これも黙ってやってくれ。

 でも山形が死んだらどうなるんだ、という心配性の人のために、遺言もつくっといてやろう。いたれりつくせり。親切だろう。どうだ、これでもまだ文句あるか。じゃあな。

リンクするなら黙ってやれ! – YAMAGATA Hiroo Official Japanese Page

リンクがどーのこーのという問題は、この名文をもってとうの昔に片がついていたものと思っていたところ、最近になって再燃してるらしいw

リンクはTOPに貼ってください。これからリンクを貼ろうとしている方へ。強制義務とします。 – Yoko’s Blog
はてな事務局にメールした – Yoko’s Blog

私別に卑怯な真似なんてしていないから。
卑怯なのはリンク先の管理者の気持ちも考えずに無断リンクを繰り返す烏合の衆に味方するような人の方だと思いますね(怒)。
私がどれだけいやな思いをしたかわかってんの?
あんただってもし、Webサイトを持っていて、コンテンツやページ単体へリンク張られたりお気に入りに登録されたりしたらどうすんの?
誰だっていやでしょうが。
卑怯なのはどっちよ – Yoko’s Blog

いや、俺はぜんぜん「嫌」じゃないけど? wwww
「強制義務とします」って、その義務どうやって履行させるのよ? wwwwww

「いやな思いをした」ってのは個人的な感情であるから仕方ないとして、実際問題、リンクされた側がどのような不利益を蒙るのか、さっぱり分からないので誰か教えてくんない?

トップ・ページにのみバナー広告を張っていた場合に他のページにリンクを張られて、そっちへのアクセスの方が増えちゃった、なんて時には「困る」というのは分かるのだが、だからと言ってトップ・ページ以外の場所へリンクを張ってはいけないことにはならないし、それを「強制義務と」することなんて「オレを儲けさせろ」と他人に強要していることに他ならない。こういう問題はblogとAffiliateの普及によって目立たなくなったものと思っていたのだが。

リンクこそ情報を直接的に結びつけるHTMLの真髄であって、それを否定するのは愚か者のすることだ。第一、Track Backと違って防ぎようがないのだから禁止したって意味がない。同じ考えの人とのみ成り立つ「マナー」に過ぎないのであって、トップ・ページではなく、上にあげた一連のページがホッテントリなどに上がってしまっているのがその証左であり、笑えるところだw

CGMと大衆の叡智はスバラシイw 木曜日, 10月 12 2006 

あちゃー、本来なら速攻で突っ込んでいるところだったが、少々忙しかったので見過ごしているうちに有名人に取り上げられちゃったので、新鮮味は薄れちゃった。残念w

さすがにこれはほめ殺しというものである。
GooglebotはCIAの手先となりうるか? – 404 blog not found

みんな既に読んで知っているだろうが、元ネタはこれ。

Googleは彼らが自覚しているか別として,既に権力者からGoogle八分依頼を受け付けることで逆に世界各国の政権を転覆し得るスキャンダルデータベースを握り,各国政府からGoogle Earthの削除依頼を受け付けることで世界の軍事拠点データベースを握ることのできる立場にある。これはGoogleの高騰した時価総額や膨大な手元現金以上に,彼らの考える世界政府を樹立する上で強力な政治力を発揮するだろう.
「真実の預言者」は誰が何を隠したいか既に知っている – 雑種路線でいこう

ぎゃはははははwwwww

「権力者からGoogle八分依頼を受け付けることで逆に世界各国の政権を転覆し得るスキャンダルデータベースを握り」って言っても、他のサーチ・エンジン使えば、その情報すぐに出てくるだろうにwwwww

なんだってこんな頓珍漢なことを、まるで演説でもしているかの如く、ここまで格好つけて言えるんだろうかw滑稽としか言いようがないwwww
我々は、まさに今、1億総ヒョーロンカ時代がWeb2.0によって更に加速拡大しているサマをしっかりとその目に焼くつけておくべきであろうw(嘘)

あのさ、「世界各国の政権を転覆し得るスキャンダル」を掴んだとして、それをわざわざネットに載せるバカがいると思う?

現在も北朝鮮のミサイル実験に関して、多数の政府や諜報機関の人間が忙しく情報収集に励んでいることだろうが、彼らがその情報をGoogleの検索対象とすべくネットにアップするかどうか、ちょっと考えてみればいい。その情報が重要であればあるほど、まずは限られた要人の間でのみ秘匿し、真偽やその影響力などを検証した後、計画的に公開していくに決まってるじゃないかwww

そしてそんなことはインターネットが発明される以前の大昔から行われてきたことであって、真に重要な情報を取り扱っている人間にとっては、検索屋なんぞ視野にも入ってないって。こんなこと、ちょっと考えてみれば小学生でも分かることだろうにwwwww

あるいは一番高く売れそうなところに売るとかするだろ。その前にネットに公開したりする訳がないw

前にも書いたけど、IntelligenceとInformationとは違うんだってば。ネットにあるのはInformationの方であり、真にCriticalな情報は滅多に表には出てこないって。

いやぁ、ホントCGMと大衆の叡智はスバラシイwwww

「我田送水」wwwwwww 木曜日, 10月 5 2006 

久々に笑ける文章に出会ったw

Web2.0的に成功したサイトを真似て別の会社が似かよった新しいサービスを作ったとしても、真似た会社のサイトは成功したWebには勝てない。つまり、Web2.0的なサービスはユニークなもので、そのユニークさが広まったら別のサイトは使わないという方向性があるのではないでしょうか。
Web2.0的サイトは成功したサイトの独り勝ち? – 代替案のある生活 via MuseMark

なんか、主張が既にblogのタイトルを裏切っている気がするのだがwまぁそれはよいとして、MySpaceはあっという間にFriendsterを追い抜いてしまったが、それについてはどうなんだろうか。StumbleUponもdel.icio.usより多くのユーザー数を確保しているんだけど? 書き手はサン・マイクロの人らしいが、業界の人ほど他社の状況を見る余裕がないのだろうか。

私が使っているWeb2.0的サイトとしては、Google、Mixi、Wikipedia、del.icio.us(これは英語の情報を得る場合に限る)、はてな、Flickr、などなどなど。グルメのWeb2.0的サイトとしては、Livedoorグルメと食べログ.comの両方を使っています。ブログサイトは乱立してますけど。
Web2.0的サイトは成功したサイトの独り勝ち? – 代替案のある生活 via MuseMark

ンなこたぁどうでもいいから、「そのユニークさが広まったら別のサイトは使わない」例を列挙したりして自らの主張を裏付けたりしたらどうなのか。

Web2.0的サイトはいつも独り勝ちになってしまう事が事実かどうかは別にして、こういった個人が良く使うサイトはそのサービスがユニークで使いやすい事が重要な気がします。ちなみに私はニュースはYahooで見て、GoogleやWikipedia、Mixiなどのニュースは見ないですね。逆に検索ではもうYahooは使わない。機能はひとつあれば足りるし、Web2.0的であれば、優れた機能を持ったサイトをみんなが使うようになり、他は使わなくなる。
Web2.0的サイトは成功したサイトの独り勝ち? – 代替案のある生活 via MuseMark

おいおいおいおいおいwwwwww
「Web2.0的サイトはいつも独り勝ちになってしまう事が事実かどうかは別にして」って、そう主張していたんじゃなかったのかいwwwwww
「ちなみに私はニュースはYahooで見て、GoogleやWikipedia、Mixiなどのニュースは見ないですね。逆に検索ではもうYahooは使わない。」って、また自分の使ってるサイトを披露しているだけじゃんw それを理由もなく一般化しちゃダメだよwwwwww
「機能はひとつあれば足りるし」って、アンタ「Livedoorグルメと食べログ.comの両方を使って」るんでしょ? wwwww

Web2.0ではないけれど、ホテルと新幹線、飛行機のフライトはWebで予約することが、もう当たり前になりましたね。ホテルはホテル自身のサイト、新幹線の予約はJR各社のサイト、フライトは航空会社のサイトを使っています。旅行会社や情報ポータル系のサイトで予約することはなくなりました。Webを使わない人は別ですが、今後、Webを使う人が多くなれば、旅行会社の予約サービスの商売が激変して行きそうですね。
Web2.0的サイトは成功したサイトの独り勝ち? – 代替案のある生活 via MuseMark

また自分の話wwwwww
自分が「旅行会社や情報ポータル系のサイトで予約することはなくな」ったからと言って「旅行会社の予約サービスの商売が激変して行きそうですね」とはwwwwwwwww

「情報ポータル系のサイト」がどんなものを指しているのか分からないけど、オレは旅行会社のサイトで予約したことあるぞ、だいぶ前だけど。その手のサイトのサービスが現在どのように進化しているのか、頻繁に利用している訳ではないので知らないけど、新幹線のチケット購入とホテルの予約がいっぺんにできるようなところがあれば、それを利用する人だっていっぱいいるんじゃないのか?

そうではないって例証をたくさんあげることによって初めて主張が説得力を持ってくるんだよ。

自分の性向を理由をあげることもなく検証することもなく、いきなり一般化してしまうのには笑うしかないw
こういうのはなんて言うのかな。「我田引水」? 違うよな。逆だ。「我田送水」かwwwww

それは何の役に立つんですか? 木曜日, 9月 14 2006 

「それは何の役に立つんですか?」という問いをよく学生から差し向けられる。「文学作品を読むことにどんな意味があるんですか?」「哲学を勉強すると、どんないいことがあるんですか?」。この種の問いを向けられるたびに私は少し憂鬱(ゆううつ)になる。

子どもたちが「それは何の役に立つんですか?」という問いを好んで口にするようになったのは、この20年くらいのことだろうか。

子どもたちはこの問いを通じて、こう宣言している。「それがどのような利益を私にもたらすのかを、納得させてくれたら、私はそれを行うだろう(納得できなければ、行わないだろう)」。

(中略)

「学ぶことは何の役に立つのですか?」という問いに対しては、「その問いそのものの無意味さをいつか君に気づかせてくれる役に立つだろう」と回答するのが「正解」である。もちろん、子どもはこの「正解」の意味を理解しない。けれども、子どもが理解できない言葉を告げることをためらったら、教育はもう成り立たない。

<旅の途中>それは何の役に立つんですか?──神戸女学院大教授・内田 樹 via 痛いニュース(ノ∀`)

アホか。それはあんたの授業が退屈だからだよ。文学や哲学の魅力を伝え切れていないせいだよ。
禅問答みたいな答えしか用意できないからそんなこと言われちゃうんだよ。
「学生」を「子どもたち」なんて呼んでいるところを見ると、最初からなめきってるな。

んな質問をする「学生」も「学生」だ。生徒じゃあるまいし、つまんなきゃ単位のためと割り切って大人しく講義を受けるか、他の講座を取れバカ。

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「前提」と「誤読」と「行間」とw 月曜日, 9月 11 2006 

うーん、折角Track Back URIがちゃんと表示されるThemeに変更したのに、Track Backは送ってもらえないようである。そもそも強制できる筈もなく、するしないは勝手であるからこれは仕方がない。

——————————————-

事の発端は、ここギコ!さんという方の「群集はロングテールの消費者たりえても提供者たりえないのではないか」というエントリに対して、私が反論を書いたことだ。

これに対して彼は「前提が違いすぎる気がするね。(中略)私が論じているのは、糞テールはどうでもよくて、味噌テールの話である。」と書いた。しかしながら、テールの一部分に限定するといった「前提」は最初のエントリには一切書かれていなかったし(みなさんも確認してみればいい)、第一、「糞」か「味噌」かの判断は誰がどのような方法でおこなうのかも疑問であるため、私はエントリの内容を変更するのはよろしくないとの苦言を呈した上で、馬鹿丁寧にも2番目のエントリで論じられていた、ヘッドでなければ一律テールではないとか、家庭用ビデオは「糞」であるとか言った、新しい内容に関しても、ひとつひとつ例証を挙げて反論しておいた。

それに対する再反論の内容は、私が誤読をしているというものであって、「最初から俺は需要に対する供給の網羅性という、質の問題を話している。」との事であった。

反論できないと、誤読扱いですかそうですかw
どう見ても言い逃れです。
本当にありがとうございました。

彼の主張をエントリ順に整理すると


  1. 群集はロングテールの消費者たりえても提供者たりえないのではないか
  2. 私が論じているのは、糞テールはどうでもよくて、味噌テールの話である。
  3. 最初から俺は需要に対する供給の網羅性という、質の問題を話している。

論点がコロコロと変わっていく様がよく分かり微笑ましい限りである。
2番目の内容は1番目のエントリにおいては全く触れられていなかったし、3番目のエントリでは2番目で「前提」とされていた点が変わってしまっている。
短い文節だけ取り出して決め付けているのではないかと思われる方は、どうぞ彼の其々のエントリの全文をお読み頂きたい。

彼の書いた個々の主張に対する反論は既に述べているので、ここでは①前提は違っていたかと、②誤読があったかに絞って検証してみたい。

まず①前提は違っていたかという点であるが、最初のエントリの前提は、ロングテールの話であるということと、「群集は」「大した需要が見込めないようなコンテンツをアップするようなモチベーションが働」かないという2点であり、その結果として「ロングテールの論理は」「群集によりコンテンツが提供される分野では、うまく働かないんじゃないかと言う気がする」というのが結論であった。

そこには「味噌テールの話」に限定するといったことは一言も書かれていないので、これが後付の屁理屈であることは明白である。多分この人は、書き手が選別した以上、例えそれがテールに位置する結果となったとしても「味噌」だって言いたいのであろう。自分が「有用」だと思ったものは他人も同じように感じる筈だという、幼児的な自己中心性がここにはある。Chris Andersonはそんなことは言っていないし、例えテールから彼の言う「味噌テール」のみを取り出したとしても、「味噌」の中身にもいろいろあろうから、やはりそこにも同じような曲線が示現されるかもしれないことは、考えれば直ぐに分かりそうなものである。

次に②誤読があったか否かである。

最初のエントリからAmazonの網羅性との比較を論旨の中に入れているので、当然質の問題として読んでもらえるだろうと思い込んでいただけで、よもやロングテールが形成されるかどうかの問題などと誤読されるとは夢にも思わなかった。
A lousy weak reader ! – ここギコ!

「網羅性という、質の問題」などという頓珍漢な文章には頭がクラクラさせられる。
網羅とは「そのことに関するすべてを残らず集めること。」であり、質は関係ない。従って網羅性について議論しているとき、それを質の問題として読むひとはいない。「網羅性が高い(低い)=質が高い(低い)」と言いたいのであっても、単に網羅性の問題といえば済むし、「質の網羅性」というように変換しても、全く同じである。

網羅性などという、中学生でも知っているような言葉の意味すら分からない程度の語学力であるから、言い訳自体が成り立っていないことに本人が気付いていない。

因みに、「最初のエントリ」中の「Amazonの網羅性との比較を論旨の中に入れ」たと言うのは以下の部分であろう。

要するに、ロングテールの論理は、Amazonのようにあらゆるコンテンツを網羅して提供する基礎がある中で、少数の需要が束になって大きな効果になる、といったところでは有効だけれども、群集によりコンテンツが提供される分野では、うまく働かないんじゃないかと言う気がする。
群集はロングテールの消費者たりえても提供者たりえないのではないか – ここギコ!

「群集によりコンテンツが提供される分野」の例としてblogを考えてみると、そこにも「あらゆるコンテンツを網羅して提供する基礎」はあると言える。その気になればどんなものでも話題とする事が出来るからだ。すべての「群集」が押しなべてヘッドになることを意識しているか、例えば、はてブのホッテントリにエントリされることを目標にポストしているかどうかは疑問であるし、例えそうであったとしてもコンテンツの多様性は十分に生まれ得る。従って、網羅性が確保されるのであれば、コンテンツの数は多数あるということであり、テールは形成される。だから、私は「そんなことはない」と反論した。

要するに、ここギコ!さんは「群集によりコンテンツが提供される分野、うまく働かない」と論じ、私はそれでも働くと論じたのであって、軸は少しもぶれていない。
どこに誤読があるというのか。

Wikipediaは芸能人・声優だの、アニメや特撮のシリーズ物の歴史だの、辞典としてはどうでもいい記事がものすごく詳細に挙がっている一方で、ちょっとマニアックな動物や歴史のことを深く調べようと思うと、途端に「この項目は書きかけの項目です」に出会ったり、項目そのものがなかったりする。
これも、群集によるコンテンツ提供が、ロングテール分野では充実しないことの一端じゃないかと思う。
群集はロングテールの消費者たりえても提供者たりえないのではないか – ここギコ!

この人は文字通りすべての事柄が網羅されていないと「ロングテール分野では充実しない」と勘違いしてしまっている。ロングテールというのは、テールがヘッドに匹敵するまで長く伸びたときのことを論じているのであって、なんでもかんでも揃わなければダメなどと言っているわけではない。たまたま自分が探しているものがそこになかったからと言って文句を言ったって仕方がない。

でも、ちゃんと行間を埋めて読んでくれてる人は、最初の文章から「質の問題なのだな」と受け取ってくれてる。
はてブを見ても「義務のないところで網羅されるかどうか、という話か。」というふうに、まさにキーワードであるところの「網羅性」を含めたコメントをしてくれている人もいるし、コメント・トラックバックを見ても正しく読み取ってくれている人もいる。
A lousy weak reader ! – ここギコ!

笑止。私が行間を埋めたところ浮かび上がってきたのはこの人の肥大化した自意識だけだった。

上の文章を見ても「質」(=内容)の話をしたいのか「網羅性」(=数)の話をしたいのかさっぱり分からない。
個々のコンテンツの「質の問題」を問いたいのであれば、ロングテールとは別個に議論すればよかったのである。テールの質がどうのこうのという議論はロングテールとは無関係であることは既に先のエントリで述べてある。それを「100%無謬」として認めておきながら、今更「質の問題として読んでもらえるだろう」というのはおかしい。

前提が違うだの誤読をしているだの行間が読めていないだのと誤魔化して、必死に自説の放棄を免れようとしているのは、傍から見ていてまことに痛々しく、また悲しい。

たかがロングテールなんていうBuzzwordに関する個人の一考察なのであるから、間違っていたと思うなら素直に認めればいいし、そうでないならきちんと反証していけばいいものを、この人の場合は自らのプライドをかけちゃっているので、可哀相にそのどちらの対応をも取れなくなってしまっているである。この点については先の反論で述べた。そもそもそのプライドが最初のエントリを書かせたわけで、仕方がないといえば仕方がないのだが、その姿は哀れというほかない。

恐らくここまで言ってもこの人は自分の誤りを認めようとはしないであろう。ひょっとすると、更にまた別の頓珍漢な言い訳をするかも知れない。
ただ、ひとつだけ忠告したいことは、例えあなたが書いたことと別のことを言いたかったのだとしても、書いた以上、人はその書かれた文章をもって判断するのだということである。そしてそれは誤読などではなく、単にあなたに作文力が欠けているということに過ぎないのだ。

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禅2.0 ??? 土曜日, 9月 2 2006 

今度は禅2.0だってさ….(*´д‘)

I think the evolution we are seeing at the convergence of media and
technology can be described as shift from Western constructs to more
Eastern constructs. It’s a Zen thing — the Zen of 2.0.

The Zen of 2.0 – Publishing 2.0

Zen of 2.0ってなんじゃい。

The Zen of 2.0 is about networks — and the connectivity,
interoperatbility, and “network effects” that networks
enable. No medium, unit of content, individual, application, action, or
unit of data exists in isolation. Every action has a ripple effect
throughout the network. The term “social” as applied to Web
2.0 is really about networks.

It seems like we’re just quibbling over terms. Karl Martino is right that the Web IS social. Web = Network = Social = 2.0 = Zen.

The Zen of 2.0 – Publishing 2.0

言語明瞭意味不明。もう、なんとでも好きに言ってればいいさ(*´д‘)

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A Lousy Excuse ! 火曜日, 8月 29 2006 

前回のエントリの要旨は、「個人」には「大した需要が見込めないようなコンテンツをアップするようなモチベーションが働」かないので、「群集はロングテールの消費者たりえても提供者たりえないのではないか」ということであった。これに対して「提供者」がどう思おうがテールは長くなると反論したのだが(だって「提供者」が曲線をコントロールできるならみんなヘッドになっちゃう筈だもんねw)、今回のエントリは何故かテールを形成する個々のコンテンツの質(「糞」か「味噌」か)の話に摩り替わっちゃってる。

駄目だよー、要旨を変えちゃ。そんなこと前回のエントリでは一言も言ってなかったじゃない。「提供者」がテール行きと思ったコンテンツは始めからアップしないからロングテールは成立しないって内容だったのに、なんで今度はテールの中のコンテンツの質が云々って話になるわけ?? 第一テールの存在を認めた段階で前回と矛盾してるじゃない。

前提が違いすぎる気がするね。
ヘッドに入らないコンテンツは、何でも一律テールなんだろうか?
そうじゃないだろう。
ヘッドでなければ一律テール、ではない。その中に需要のレベルがある。 – ここギコ!

そうなんだってばwwwwwwロングテールではwwwwwwwwwwwwwwwwww

ロングテールを語る際にはヘッドとテールという言葉が使われる。厳密に言うと、ロングテールにおけるヘッドとは現存する最も大きな小売店に置いてある商品の集合体(あるいは数)を指し、テールとはそれ以外の商品を集合体として呼ぶ際に使われる
ロングテール – Wikipedia

ほらねw

極めて良質なコンテンツで、一定のニーズもあるにも関わらず、そのニーズがニッチ過ぎてヘッドには上がり得ない味噌テールもあれば、最初から箸にも棒にもかからない、需要もない糞テールもあるだろう。
私が論じているのは、糞テールはどうでもよくて、味噌テールの話である。
ヘッドでなければ一律テール、ではない。その中に需要のレベルがある。 – ここギコ!

そりゃあテールの中身にはいろいろあるだろうけど、なんで「糞テールはどうでもよくて、味噌テールの話」に限らなきゃいけないわけwwww 第一、「糞」と「味噌」は、いったい誰がどういう基準で分けるのよwwwwww もしも、ある人が「ここにあるテールは全部糞!!」って判断したならテールはなくなっちゃう訳?? 面白いからその論旨をまとめてChris Andersonに送ってみれば?

そういう糞も味噌も一緒にして、テールはちゃんと出てくるのだから問題ないんだよ、というのは話が違う。
ヘッドでなければ一律テール、ではない。その中に需要のレベルがある。 – ここギコ!

ロングテールってのは、文字通りテールがロングになるって話なんだから「糞も味噌も一緒にして」いいんだよwwwww 個々の中身について論じたければロングテールとは別の話にしなけりゃwwww

家庭用ビデオなんかは糞テールの方だ、そんなのが増えたところでテールが充実したとはとても言えない。
本でいうなら、人気ブログでもなんでもないそんじょそこらのブログが自費出版で書籍化したのがAmazonにあるようなもんだ。
そんなもんはどうでもいいのだ。
ヘッドでなければ一律テール、ではない。その中に需要のレベルがある。 – ここギコ!

おいおいおいおいwwwwwwそんなこと言っていいのかwwww
多くのV-ResponseやCommentが付いて話題になっているgeriatric1927さんはどうなるのよww もう既にWikipediaの項目さえ出来てるくらいなんだけど? 知ってる? この人のこと。
この人のコンテンツは紛れもなく「家庭用ビデオ」であって、しかも「糞テール」どころかヘッドの方に位置しているんだけど?

それからさ、Marissa Mayerもこんなこと言ってんだけど? (誰だか知ってるよな?)

Mayer said Google had failed to foresee the huge popularity of user-generated content – its original model for online video emphasised “premium content” which viewers would pay a small fee to access. The success of YouTube over the past year – rapidly eclipsing Google Video in popularity – took many by surprise.

Mayer said the growth of Google and the internet were both user-driven – and that’s what makes them so revolutionary.
Internet, TV are no rivals: Google – Yahoo! 7 news

これでも「どうでもいい」の? あなた、自分が「どうでもいい」と思ってるだけでしょ。 自分の主観で人の理論(ロングテール)を捻じ曲げちゃ駄目よwwwww
あなたがどう思おうがテールを形成していることには変わりないでしょうが。勝手に「糞」と決め付けて排除しちゃ駄目だってwwww

普通の本屋ではまず買えない「計算幾何学と地理情報処理」がAmazonで買えた(まあこれは元が絶版だからというのもあるけど、絶版でない本だってAmazonでしか買えないような本はあるはず)、すなわちロングテールに対する需要に供給が応えてくれたのと同じように、見逃した「コマネチ大学数学科」をYouTubeで見たいのに、見れない。
YouTubeではロングテール需要に供給が応えてくれないのは何故だ?
答えは一つで、YouTubeでは群集が供給の提供元で、その群集にロングテールに位置するが一定の需要はあるようなコンテンツを、アップするモチベーションがないからじゃないか。
ヘッドでなければ一律テール、ではない。その中に需要のレベルがある。 – ここギコ!

たまたまYoutubeに「コマネチ大学数学科」がなかったからって、そんなこと知らないよwwwwww(腹痛ぇぇぇ)
一企業であるAmazonが「普通の本屋ではまず買えない」本を提供していたのに対して、「群集」が「提供者」であるYoutubeはテールを揃えられなかったと言いたいんだろうけど、別々のものを取り出して比較が成り立つとでも? wwww じゃあ、YoutubeにあるコンテンツとAmazonにないコンテンツを持ち出せば結論は逆に??? wwwwwwwwwwww
ロングテールを論じるときには、Amazonと「普通の本屋」を比較するんだよwwwwそれも個別のコンテンツを持ってきたりなんかしないで、縦軸に売上、横軸に各々の取扱商品をとったグラフを書くんだ。

ミクロにそれをアップする個々人の視点で見れば、個人のコンテンツアップに費やせる時間、労力といった点で制限される『陳列棚』が存在するわけで、必然『「1つ1つでは大した需要が見込めないようなコンテンツをアップする」際には本当にそれで良いかをそれなりに吟味する』商売人と同じ心理が働くわけだ。
ヘッドでなければ一律テール、ではない。その中に需要のレベルがある。 – ここギコ!

括弧の使い方が逆だよ! でもって、よくあるお気楽日記風のblogを見ていると、すべての個人に「商売人と同じ心理が働く」かどうかは疑問だよなぁ…..。仮に「需要が見込め」るものと「見込めない」ものとコンテンツが2つあったとして、「無限のコンテンツレポジトリ」なんだから両方ともアップしちゃえばいいんじゃね?

ま、でも時間と労力に制限があるんであれば「需要が見込め」るものをアップしようとする心理は分かる(それは前にも言った)。しかし、それによって「群集はロングテールの提供者たりえない」と言ってしまうと、(企業が提供するコンテンツを別として)テールはロングにはならないということになってしまう。SEO的なアプローチとロングテールをごっちゃになってるよ!

個人の集まりである「群集」がテールの長さをコントロールできるというなら、実例を持ってそれを証明してよ!! 対象とするコンテンツの例はblogでいいんじゃない? 個人がそこそこの需要が見込めるコンテンツだけをアップした結果、短いテールしか示現しないという例を見せて欲しい。

逆の例なら直ぐに提示できるよ? ここでいいじゃない。
人気ブログランキング
現在の登録ブログ数は286,778件だそうだ。総合ランキングは1,000件までしか載っていないみたいだけど、それを全部ヘッドと見做したって、十分にテールは長く存在していると思っていいんじゃないの? だって「IN」とか「OUT」とかの数値にはかなり開きがあるからさ。みんながヘッドだと思って書いたものがその通りにヘッドになるのであれば、個々の数値の差はもっと縮まるはずじゃないの?
このサイトに登録されているblogに限らず、世界全ての個人が運営しているblogのアクセス数を取ったグラフを作成したとしたら、もっとロングなテールが発生するんじゃないの?

ヘッドになるかテールになるかなんて結果に過ぎないのに、なんで書き手がそれを左右できるなんて一般化しちゃうのかねぇ。思惑通りに行くこともあれば行かないこともあるという当たり前の話でしょ。それを、

ヘッドを目指してヘッドになりきれなかったコンテンツなんてのは、良質だけどニーズの総量を読み違えていたためにヘッドになれなかったというようなケースを除き、基本的に他で代替が効くゴミという意味で「糞テール」の方だ。
ヘッドでなければ一律テール、ではない。その中に需要のレベルがある。 – ここギコ!

なんて決め付けるのは傲慢以外の何ものでもない。都合の悪いものは質でより分けて切り取っちゃう。そしてその質を判断するのは「自分」。なんという手前勝手で自己中心的な考え方であることか。

そもそも、なんでこの人がこんなこと言い出したのか、既に見透かしている人も多いと思う。

そういう人は、世がどうあろうと関係なく、一定のニーズがあるテールを提供し続けるだろう。
でも、自分がそうだとは言わないが、世の中にはヘッドも書ければテールも書ける、という人もいる。
そういう人にとっては、はてブ等でヘッドが拡大再生産されて持て囃される今の状況では、どちらを書くことを選ぶかと言えば、『商売人と同じ心理』を働かせ、ヘッドを書くことを選ぶだろう。
ヘッドでなければ一律テール、ではない。その中に需要のレベルがある。 – ここギコ!

「自分がそうだとは言わないが」

wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

「自分もそうだ」って言いたいんでしょ!? そうでない限り、前後の文脈からしてこの部分は全く不要だもんねwwwww

つまり今の状況は、ヘッドとその周辺の糞テールが席巻しているために、相対的に良質の味噌テールが埋もれていってしまっているという、そういう状況だと言っている。
ヘッドでなければ一律テール、ではない。その中に需要のレベルがある。 – ここギコ!

「埋もれていってしまっている」「良質の味噌テール」ってのは自分のエントリのことねwwwwww
そうでなければ何故「埋もれていってしまっている」と断定できるのか!? 何故はてブによってより多くの人の目に触れることが出来ることの意義に考えが及ばないのか!? なぜ「ヘッド」を「その周辺の糞テール」と一緒くたに括ってしまうのか!?

「持て囃される」のが自分じゃないからだよなwwwwwwwwwwwwwwwww

前回のエントリでも同じようなこと言ってる。

実際問題、私の例で挙げてみると、私はロングテールな需要としては多分それなりに有用で、ちゃんと最後まで追及すれば有用な人にとってはすごく有用になるかもしれない続き物のエントリ(その1、その2)を持っていて、まだ結論出してないのだけど、いろいろ調査したり実験したり手間のかかるわりに注目されないので、そんなこと追及するより「はてブ」ネタでアクセス稼ぐ方が嬉しいかなーとか考えたりもしてしまう。
群集はロングテールの消費者たりえても提供者たりえないのではないか – ここギコ!

語るに落ちるwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

  1. 俺はこんなに「有用」なエントリを書いている
  2. だけど、「手間のかかるわりに注目されない」
  3. キーッヽ(`Д´)ノ
  4. 俺のエントリがテールである筈がない!
    →「有用」なエントリはテールを構成しない!
    「群集はロングテールの消費者たりえても提供者たりえない」

    「書き手の思惑で曲線を左右できたりはしないんじゃ?」←Albinoalbinism

  5. 例えテールであったとしても、俺のエントリは「糞」ではない!!「味噌」だ!!
    「ヘッドでなければ一律テール、ではない。その中に需要のレベルがある。」

こんなとこかな? wwwwwwww

あなたがどんなに「有用」なエントリを書いていたかは知らないけど、常にランキングの上位にいたり、はてブに登録されていたりしたなら、こんな記事書いてなかったでしょwwwww いいじゃないの、「有用」なエントリであれば、きっと見る人は見ていてくれるよ! その程度じゃ満足できないんなら、もっと徹底的に対策取ればいいじゃない。2chのスレのコピペとか、エロい方向に持っていくとか。え? あくまでも「有用」なままアクセス数稼ぎたい!? それは世のクリエイター全てに共通する悩みじゃないかな~。地道に頑張るしかないのでは。

でもそれをロングテールのせいにしちゃ駄目よぉ~wwww

チョー笑える演出論ww 金曜日, 8月 25 2006 

それぞれの監督の個性は、たしかにあります。たとえば『時をかける少女』には、真夏の暑い時期なのに、なぜか暑苦しい鉄板焼きを食べる場面がある。これは絵コンテを描いていたのが真冬だから生まれた場面でしょう。
八月の雨――『時をかける少女』と『ゲド戦記』 – ぼくらは少年演出家

ま、まてまてまてまてwwwwwwwwwwww
じゃあ、真夏に絵コンテ書いてたならカキ氷でも食わしていたと言うのかwww それが細田氏の「個性」なのか?????

こんな日記テイストの細田演出を愛する人は、冷や麦くらい食わせろよ、とは言いませんね(略)。
八月の雨――『時をかける少女』と『ゲド戦記』 – ぼくらは少年演出家

明らかに不自然であれば別として、暑い時期でも鉄板焼きしたりバーベキューしたりすることはあるから、それだけをもって一概にどーのこーの言えないだろ。つーか、細田演出ってのは「日記テイスト」なのか!? 「日記テイスト」ってのは、物語の必然性とは関係なく自分の食べたいものをストーリーに出してしまう類のことを意味するんだな? ホントか!? すっごく失礼なこと言ってんじゃないの??

アレンがクモに黒い液体(ハジア)を飲まされて、上くちびるが紫色にかわる場面はすごい。クモによる洗脳がはじまり、アレンのくちびるはどんどん色がついてゆく。洗脳が完了して、真の名をつげてしまうころには、アレンの上下のくちびるはすっかり紫色にかわります(目も落ちくぼむことに注意)。アニメは基本的にくちびるを抽象化して、肌と同じ色に塗ってしまいます。この抽象化をうまく利用した絶妙な演出ですね。洗脳という現象を視覚化したとも言えるでしょう。
八月の雨――『時をかける少女』と『ゲド戦記』 – ぼくらは少年演出家

如何にもアニメっぽい表現ってだけで、「絶妙な演出」とまでは言えないんじゃないの??
洗脳されたことを表現するのであれば、その後の言動が以前とは食い違っていたりすることで十分表すことが可能だと思うけど、それだと小さな子どもには理解しにくいこともあるだろうから、分かりやすく絵的な記号として唇の色を変えただけだろー。

良くあるケースとして、偽ウルトラマンは本物と比べて明らかにデザインが違っていて、それにも拘らず本物が出てくるまで大の大人が「どうしちゃったんだ、ウルトラマンは!?」なんてベタな反応しているのを見て、子ども心にもなんで分かんねーの?なんて不思議に思っていたけど、それは演出の効果だったってーのと一緒の、昔からある基本的なやり方なんじゃねーの??

以上のことをふまえると……考えたくはないけど……おそらくそうなんです。ほとんどの観客はアニメーションの本質も、映画の原理も、まったく気にせずに、まわりのあいまいな評価を鵜呑みにしてこの二作を見ている。まれにみる絶望的な状況だと思いました。—絶望的と悲しむだけではいけないと、妙な使命感にかられます。わたしにできることといったら、ただひとつ、アニメーションの本質への問いかけを行うことでした。
八月の雨――『時をかける少女』と『ゲド戦記』 – ぼくらは少年演出家

頓珍漢な深読みしてねーで、素直に鑑賞しろってwwwwwwww

via ブックマーク・RSSから(2006/08/23) – 愛・蔵太の少し調べて書く日記

広告収入がどうしたって?? 水曜日, 8月 23 2006 

例えば銀行は金利で収益を上げていました。ところがバブルが崩壊すると金利差益では殆ど儲からなくなりました。そこでフィナンシャル・プランナーなどを充実して手数料を中心にしたビジネスモデルに切り替えました。
Web2.0の破壊力-何をどこまで飲み込むのか? – Socialnetworking.jp

「バブルが崩壊すると金利差益では殆ど儲からなくなりました」ぁ?

銀行が競争的であれば、預金金利規制によって預金者から受け取った所得をすべて貸出の金利競争によって企業に移転するであろう。しかし、銀行業においては新規参入が厳格に規制されており、いろいろな非価格競争規制・自主規制がおこなわれていた。したがって低金利政策の効果は、預金金利を引き下げ、預金者から銀行に所得移転をもたらしたが、それがどの程度企業の資金コストの引き下げに寄与したかは疑問である。もし、その引き下げ幅が小さければ、低金利政策はもっぱら金融機関の利潤の増大に寄与し、実物的な企業の投資・生産力の増大にはあまり寄与しなかったことになる。もちろんその場合にも、銀行の利潤を高めることは金融システムの安定性に寄与し、ひいては産業界への円滑な資金供給を可能ならしめるというメリットがあったということはできようが、「低金利政策が高度成長に寄与した」という通説的見解に、少なくとも、疑問を投げかけることになろう。
『低金利政策と銀行業の効率性』
特別研究官(大阪大学教授) 筒井 義郎
第二経営経済研究部研究官 上岡 孝一
研究官 洞口 紳也
研究官 堀内  聡

バブル発生以前からの、高度成長に伴う事業会社の間接金融から直接金融への移行が銀行の行動に影響を与えたのであって、またバブル崩壊以降の低金利政策については、家計から企業部門への所得移転であった面を考慮に入れて話さないと。

AOLが通信企業だとすれば、新しいモデルは電話の基本料ではなく広告料(そして付加価値)で稼ぐモデルと言うことになります。これは銀行が金利ビジネスからフィービジネス主体に切り替えたのと何ら本質的な違いはありません。 そうでしょ?
Web2.0の破壊力-何をどこまで飲み込むのか? – Socialnetworking.jp

そうでしょ?とか言われてもwwwww
「電話の基本料→広告料」と「金利ビジネス→フィービジネス主体」が本質的に同じ??
単に収益源を変えた点が共通しているようにしか思えん。「本質的」というのが何を指しているのか明らかにして欲しい。

YouTubeは無料の楽曲提供を始め、レコード会社と広告収入を分けると言っています。これもレコード会社から見れば、版権ビジネスから広告料ビジネスへの切り替えでしかありません。
Web2.0の破壊力-何をどこまで飲み込むのか? – Socialnetworking.jp

広告収入を受け取るのはYoutubeなんだから「レコード会社から見れば」相変わらず「版権ビジネス」だろwwwwwwwwww

これまでの代表的広告ビジネスのモデルと言えば、民間テレビ放送のドラマ提供でした。全てが広告費でカバーされ、常盤貴子(古いかな?)、優香などの活躍を皆、無料で楽しんでいました。この広告費と無料の世界がインターネット上で表計算のビジネスソフトや音楽まで広がろうとしているのがWeb2.0と考えられます。
Web2.0の破壊力-何をどこまで飲み込むのか? – Social Networking.jp

なんか話が周回遅れのような気がするんだけど。ネットだってメディアなんだから、真っ先に浮かぶ収益モデルは広告収入であるのは当たり前であって、だから90年代半ばにバナー広告なんかが流行った。そこにAmazonみたいなECとかeBayみたいな手数料収入なんかも加わってきたんだけど、Web2.0とか言われている企業も、やっぱり人を集めようと思ったら無料でサービスを提供するほかなく、ビジネスモデルの欠落がいろいろと取り沙汰されているわけだ。昔はIPOしちゃえばなんとかなるさなんて言ってたんだけど、ITバブルが崩壊して株はみんな懲りてるしSOX法は煩いしってんで、del.icio.usやflickrみたいにどっか大手が買ってくれることを期待しながら当面のカネをVCに面倒見てもらいつつ、やっぱ広告しかないのかなぁ、なんて思ってるところじゃねーの? いま。ここ見てみ。

はい、またです。 水曜日, 8月 23 2006 

どうしてこうも「Web2.0」となると頓珍漢なことを言い出す輩が増えるのかねぇ…。今回はなんと早稲田の理工学部教授だよ、おい。

これまで大量の情報の中から、一人で有益なものを探し当てるのは非常に難しかった。Web2.0の特性を生かせばグループを作り、分担して情報収集することも簡単だ。
「金融テクノロジー革命 Web2.0でこう変わる(上)」 日経金融新聞 2006/8/23 一面

「グループを作り、分担して情報収集すること」なんて別にWeb1.0時代でもHP立ち上げたりNewsgroupで呼びかけりゃ、いくらでも出来たことであって、なんでそれがWeb2.0になると「簡単」になるのかの説明は全くない。直前の文章で「Web2.0を象徴する」ものとしてblogとSNSがあげられているけど、そんなもの「グループを作り、分担して情報収集すること」とは直接関係ない。勿論、blogとSNSをきっかけとして同好の士が集まり共同作業が始まるということもあるだろうが、そんなことはblogとSNSがなかった時代でも、もとよりインターネットが普及する以前からも行われてきたことだ。Web2.0について書いているんだからWeb2.0じゃなきゃ不可能であった点を書かなきゃ意味がない。

個人間の連携がより簡単になったことを言いたいんだろうが、blogとSNSなら使えるけどHTMLも書けなくてNewsgroupへのアクセスすら出来ない程度の連中がいくら集ったって、どうせ大したことは出来ないよ。ましてや「金融テクノロジー革命」なんて起こすのは無理!!

「これを個人の株式取引に当てはめてみよう。今までのテクニカル分析は過去の株価情報を基にした将来予測。これからは企業の財務情報から評判まで含めた様々な情報を集約し、精度の高い予測が可能になってきたといえる。集団となった個人が、一定の法則を見いだしてプログラムを作れば、勝ち続けるアルゴリズム(自動売買)を開発できるかもしれない」

何を根拠に「今まで」は財務情報や評判を活用して来なかったって決め付けてるんだ?? 財務情報なんて、Yahoo ! Financeを始めとする各金融関係サイトはおろか、もっと詳細に調べようとするならEDGARだってEDINETだってあったじゃないか。ヤフーにある銘柄別の掲示板は盛況だし、2chにだって金融関係の板はいくつもあるでしょうに。紹介欄には「文部科学省から研究費を得て世界中のインターネットのサイトを収集、分析している。」なんて書いてあるけど、とてもそうとは思えない。

「勝ち続けるアルゴリズム(自動売買)を開発できるかもしれない」なんて安易に書いちゃってるけど、そんなことアメリカじゃ何十年の前から散々研究しつくされてきたのに未だにそんなもの出来てない。ノーベル賞受賞者が参加したLTCMでさえ、流動性を失った途端に破綻したのを知らないのか??
んでもって、これWeb2.0とどう関係があるのよ!?

「小額の投資金額でしか売買できなかった個人が、ネット上の口コミを頼りに自発的に数万人も集まり、一つの方向へ売買するといったことも想定できる。」

想定なんかしなくたって、デイトレーダーが新規公開銘柄に殺到するのを見れば分かる通り、そんなことは既に当たり前になっている。でさぁ、これもWeb2.0とどう関係があるのよ!?

情報発信も容易になってきたため、今まで以上に風説が流れやすくなった。今までは新聞が情報の真偽を確認し、取捨選択をしてきた。Web2.0でこの役割を担うのは専門的な集団だ」

ネットが普及したときから既に「今まで以上に風説が流れやすくなっ」てるんですけど。これもWeb2.0との関係が不明。「役割を担うのは専門的な集団」って一体どこ?? 具体名を挙げて欲しい。そしてそれがWeb2.0によるものだということを詳しく説明して欲しい。

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なんなんだろねー、Web2.0と名が付くだけで次から次へとおバカな発言が飛び出してくるこの一連の現象は。流行語マンセーでよく理解もせずに書き散らしちゃうお調子モンが続出する様は、インターネット関連であれば中身が何であれ直ぐにカネが集まったITバブルのときのそっくりだね。

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