お前が言うな 木曜日, 5月 31 2007 

批判しようと思うならば、読めよなぁ、と思ってしまう。
自分が批判したい言説をあらかじめ想定して、その想定に対して批判しているものだから、全く私は関係ないのに、私に対して批判していることになる。

山口光市母子殺害事件で「殺す」と言うインテリと「殺せ」と叫ぶ莫迦 – ゆくしむにーさー

お前が言うな莫迦wwwwwwwww

“SONG” “DANCE” “PERFORMANCE” 木曜日, 5月 31 2007 

でな、「歌舞伎」って”SONG” “DANCE” “PERFORMANCE” って書くんだよ。これって「オペラ」だろ? 「Opera」は日本では「歌舞伎」なんだよ。だからニッポン人がOperaを好きなのは、大昔から決まってたんだよ(笑)

Opera11のコードネームを『KABUKI』に(完全版) – TERRAZINE

一瞬、「おお!」と思ってしまったが、すぐに一文字ずつ英訳したところに騙されたことに気付いた。歌と踊りと技能が一体化した芸能なんて歌舞伎以外にも沢山ある筈だものなぁ。Musicalでもいいじゃん。いや勿論kabukiでもいいんだけどね。…うん、kabukiでいいやw

He’s a man always says So. 木曜日, 5月 31 2007 

私は見栄っ張りなので、NoはYesと言えるときでないと言いたくない。本当に出来ないときにはNoじゃなくて I’m sorry って言う。

YesなくしてNoなし – 404 Blog Not Found

確かにNoとは言わないけど、いつもSoって言ってるんだよなw

「そう。変わっていくのは、君も。」
「そう。定義。格差は観察するだけで顕在化するが、」
「そう。日本が曲がりなりにも滅びずに来たのは、」
「そう。もともとListとArrayは別物なのだから。」
「そう。Haskellに対するPugsのようなものが欲しい。」
「そう。実は副題の「禁じられた数字」こそが、本書の本題で」
「そう。本書の挿絵は、いしいひさいちの4コマ漫画なのだ。」
「そう。「狂った裁判官」とは、著者自身のことでもあるのだ。」
「そう。実はどんな道具でやるかというのも、設問のうちに入る。」
「そう。本質的には、二次元を移動する乗物には、」
「そう。本シリーズは21世紀の「タイムボカン」なのです。」
「そう。数量という。」
「そう。「自分で確かめられる」。」

Suitable Sample for 26 Reasons 水曜日, 5月 30 2007 

こいつは確か「働かなくても食っていける社会がもうすぐやってくる」とか「グーグルならば精度の高い株価予測を行なうことはできるだろう」などと言ってた奴だなw

つまり、「被支配者にとっての生活の安全」は明かに向上しています。しかし、そのことによって同時に「支配者にとっての悪政の自由」の範囲も拡大して、権力のシステム全体は劣化しているのではないでしょうか。

史上最大の「悪政の自由」を享受した権力システムの崩壊 – アンカテ(Uncategorizable Blog)

「権力のシステム全体は劣化している」とは、具体的にはどんなことを指しているのだろうか。

「今の権力者はいろいろなものに縛られていて制限がある」というのは「錯覚」で、「現代においては、『情報』を支配することが可能であるということ」が、「昔の王様より今の同業者の方が確実に有利な点」であり、従って「『支配者にとっての悪政の自由』の範囲も拡大して」いる、という論調だが、それによって「権力のシステム全体は劣化している」ということは、ここでいう「権力のシステム」とは、本来あるべき国を治める形態・制度などのことを言っているのであろうか。しかし、「権力」という言葉は通常否定的な意味で使われることが多いので、なんとなくしっくり来ない。

そして、「被支配者にとっての生活の安全」とは、どうやら「『食を保証する』ということが今のレベルで実現された」ことを指しているようなので、先程あげていた「情報」という要因と食い違う。要するに、悪政の自由の範囲拡大は、国民が飢えずに済むようになったことによるものと言いたいのか、「情報」を支配することによるものと言いたいのか、さっぱり分らないwww

相変わらず自分のオツムを整理しないままにエントリ書いてるのねw

だから、

もちろん、昔は情報伝達のスピードが遅いから、何事もスローペースで進みます。馬鹿な皇帝がすぐに倒されるということはなくて、食えなくなった庶民が反乱を起こして革命が起こるのは、息子の代や孫の代になってからだったりします。

史上最大の「悪政の自由」を享受した権力システムの崩壊 – アンカテ(Uncategorizable Blog)

と書いていたくせに、

昔の王様には「悪政の自由」はごくわずかしか与えられてなくて、それを享受できるのは、長い歴史の中で、政権が「慣性」で動いているわずかな瞬間であって、それにタッチできるのは支配者層の中でもごく一部の人です。

史上最大の「悪政の自由」を享受した権力システムの崩壊 – アンカテ(Uncategorizable Blog)

などと矛盾することを書いてしまう。「情報伝達のスピードが遅い」なら、「悪政の自由」が「わずかな瞬間」にしか享受できないってことはないだろw

つまり、「情報の支配」と「(良質な政治でなく)技術の向上による食の安全の保証」という二点の理由で、現代の為政者に与えられている「悪政の自由」は歴史上類が無いほどに拡大しているのではないでしょうか。

史上最大の「悪政の自由」を享受した権力システムの崩壊 – アンカテ(Uncategorizable Blog)

「情報の支配」についてはナチスを例にあげて説明しているが、「食の安全の保証」については、それがどう「悪政の自由」に繋がるのかは全然書かれていない。

特に、余剰生産が多い分だけ、その「悪政」に連なる人たちの人数が膨大なものになっている。だから、これが崩壊するということは、今まで歴史上起こったどんな権力の崩壊よりも、ドラスティックで関係者が多い事件になるということです。

史上最大の「悪政の自由」を享受した権力システムの崩壊 – アンカテ(Uncategorizable Blog)

「余剰生産」ってのは食糧を含めたのことを指しているのか? そうであるなら満ち足りているわけで、「『悪政』に連なる人たち」の数はむしろ減るかもしれないではないか。そうではなく情報のことを指して言っているならば「情報の支配」と矛盾する。で、それが「崩壊」したと? そうなの? なんか崩壊したの? それが松岡農相の自殺が「ドラスティックで関係者が多い事件」であることと、どう係わってくるの?

今起きている事態について、何が報道されて何が隠蔽されているのは、それは私には見当もつきません。しかし「異常だ」と確信を持って言えるだけの情報は得ている。マスメディアを中心とした権力にとっては、「異常だ」と思う人がたくさんいること自体が、もう既に敗北だと思います。

史上最大の「悪政の自由」を享受した権力システムの崩壊 – アンカテ(Uncategorizable Blog)

そうか? 戦後の国鉄総裁轢死事件を筆頭に、「『異常だ』と思う人」が大勢いたであろう事件は沢山起きていたと思うぞ? それを昔の人は「異常だ」とは思わなかったって言うのかい?

なんとまあ、考えの浅い、中学生レベルの論文であることか。あなたが正しいと思っていることが間違っている26の理由のどれに当て嵌まっているかを考えるのも一興かもw

Reason 水曜日, 5月 30 2007 

404 Blog Not Found:あなたが正しいと思っていることが間違っている26の理由
This makes me think that Hatena bookmarkers are therefore wrong.

分裂勘違い君劇場管理人のブクマ

プププ。
Is it a reason you lure the bookmakers?
And why do you stop writing?

馴れ合いbloggerの限界 水曜日, 5月 30 2007 

誤字ではありません。”中実”と誤字る方が困難と思われますが、なぜTB打つ前に確認を怠るのかが不思議です。http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=B05879

べにぢょのブックマーク via おふざけでない

あらま。こんなことを言っている時点で既に負けを認めたようなものではないか。論点はそこではない。

べにぢょ氏は、mixiの文句を言っていたときはよく分析が出来ており文章も簡潔且つ要領よくまとまっていたので理性的な人物かと思っていたが、基本的には社交辞令中心の馴れ合いがお好きなようだ。友達ごっこするなら、やはりmixiの方が向いているだろう。

”符号逆だった”ってバラしちゃらめぇ!!!

さくらんぼ ~id:suVeneのテーマ~ – べにぢょの日記

「”符号逆だった”ってバラし」たのはsuVene氏の理性の表れであろう。単なる表記ミスなのだから感謝こそすれ文句を言う筋合いのものではない。「カチンとくる」とか「ヒドイコメ」とか文句をたれる一方で「紅はすヴぇんぬさんが好きすぎる」などと、オブラートに包んだような、喧嘩売るんだか売らないんだか、よく分らないような書き方しているからドズル中将にも「喧嘩売るなら真正面からやれい!」と言われてしまうのだ。キシリア閣下には「そんなのあたしの勝手でしょ!」くらいに反しておけば良かったのだ。

ぶくまを何度か見かけただけで、別によく知っているわけではないが、suVene氏のコメントはいつも至極まっとうなものばかりで、はてなユーザーの中では極めて珍しい、正常な感覚の持ち主とお見受けしている。それでも時折このような反応が出てくるのは、はてなユーザーは余程馴れ合いが好きなようだ。馴れ合いは馴れ合いしか生まない。それが限界。くねくねしているうちに人生終わっちまう。

馴れ合いbloggerが望んでいるのは、恐らく下記のような反応なのだろうw

先生の言うことに全て「はい」
親の言うことに全て「はい」
偉い人が言うことに全て「はい」
恋人が言うことに全て「はい」
読んだ教科書に全て「はい」
目で見たものに全て「はい」

俺が今感じてる閉塞感をリアルな言葉にしてやるよ – Anonymous Diary

I don’t care Who’ll kill Google. 火曜日, 5月 29 2007 

Robert X. Cringely’s “The Final Days of Google” is the must read. Is it going to be an inside job? -You be the judge. シリコンバレーのベテラン人気ジャーナリストが描く、グーグル崩壊のシナリオ。必読。

グーグル最後の日々:The Final Days of Google – in Japanese – Long Tail World

YAMDAS現更新履歴でも取り上げてたやつだよな。「個人的には疑問である」との事だったので大して気にも留めてなかったが、Sashimi氏(確かtechCrunch日本版にも係わっている人)が訳を載せているので読んでみた。

グーグルの何百人という社員 — この数はすぐ何千人という数に膨らむ–がオプションをベストして支払能力をつけていくにつれ、時間と金、経験を兼ね備えたグーグルOBの数は増えていく。その数はポタポタ垂れる水の一滴から小川に変わり、やがて洪水になるだろう。そしてその中から、辞めた職場で却下された何千というアイディアの夢の実現に猛進する人が出てくる。

グーグル最後の日々:The Final Days of Google – in Japanese – Long Tail World

要するに、Googleが高給で引き抜いた多数のHacker連中が、就業時間の20%を使って考案したアイデアを経営側に却下された恨みが積もり積もってGoogleを「殺す」原動力となるって話なんだが。

そんなこと、どこの企業にでもある話じゃん。優秀なGeekはMicrosoftにだってeBayにだっているだろう。そいつらが様々なアイデアを持っているであろうことは分かるが、だからと言って即、起業に結び付くとは限らない。優秀だからと言って斬新なアイデアを思いつくとも限らないし、そんな連中とは全然違うところからこそ、ヘンなアイデアが飛び出てきて新しい潮流となるような気もする。

「今後サンドヒル・ロード(VC密集エリア)に殺到するアイディアの多くはグーグル元社員が出す事業企画にな」ったとしても、それがどう「Googleの最期」に寄与するかの道筋が全く考慮されていない。単に優秀なGeek達がいろいろなアイデアを出すだろうっていう、誰でも想像できるようなことを長々と述べているだけであって、まるで具体性がない。どういうアイデアならGoogleを殺せるって言うの?

なんつーか、詰めの甘い単なる空想っていうか、思いつき程度の話。一般的には優位性と考えられている、Googleが飛びっきりの技術者を集めている事実が、実は逆に脅威になるっていうことを、「逆転の発想だぁ凄いだろ」って吹聴したいだけでしょ、このRobert X. Cringelyって人。そんなこと、数百万人はとっくの昔に気付いていると思うよ。その可能性は確かにあるとしても、それだけじゃあ全然物足りない。

つーかさあ、こうやってGoogle、Googleって騒いでいるうちは何にも起きないんじゃないのかねえ。ベクトルは逆でも結局モッチーのやってることとあまり変わらない気がする。

It is not ‘must read’. You can ignore.

またバカタリアンかw 火曜日, 5月 29 2007 

さて、今日はこの10年の間に日本で最も変わったことと言われれば皆さんは何を思い浮かべますか?
年功序列の崩壊ですか?
格差の広がりですか?
グローバリゼーションですか?
僕は、おそらくこの10年間で日本で最も変わったことは、AV女優の飛躍的なレベルの向上だと思います。
(中略)
ここで、僕は自分自身が恥知らずなリバタリアンだと言うことを白状しなければいけないでしょう。
この10年で日本社会で最も変わったこと – 金融日記

大爆笑ww またバカタリアンかwwww

僕は、これはよくも悪くも、日本でも資本主義や市場経済が浸透してきていることの帰結だと思っています。

この10年で日本社会で最も変わったこと – 金融日記

分ったw 分ったからそんなに笑わせないでくれwwwww

歪んだ平等主義 水曜日, 5月 23 2007 

公認会計士である以上、このような基礎的なことは当然理解した上で書いたものと想像するが、VBの経営者なんかはそのまま受け取りそうなので、敢えて書く。以下の部分は根本的におかしい。

抜けたメンバーが仮に20%の株式を持っていて、それをそのまま保有し続けるとすると、「他の経営陣ががんばったから上場までこぎつけたのに、初期に抜けたやつが大量のキャピタルゲインの恩恵にあずかるというのは『やめ得』じゃないか」ということで、残されたメンバーとしても納得しがたいところ。

「仲間で始めるベンチャー」と取得条項付株式 – isologue

もしもこのような感想を抱く「メンバー」がいたとすれば、そいつらは出資者と経営者の区別がまるで付いていない。株主はその企業に金を出した人間に過ぎず、金を出しただけで十分にその権利と義務を有する。その立場は他の経営者あるいは従業員といった立場とは別個に独立して存在する。であるから「抜けた」以上は頑張る必要など全くない。当然にその義務もない。何もしなくとも、株主と言う立場において「大量のキャピタルゲインの恩恵にあずかる」ことに何の問題もない。仮にその企業が倒産して株式の価値が0になったときは「やめ損」なのか? そんなことはないだろう。出資した分の資産を失うに過ぎず、それは辞めたか否かとは関係がない。

現役の公認会計士が例題を仮定するからには、このような学生サークルのノリで経営を行っているVBが実際に多いのであろうと推測できる。社会に出てビジネスをする以上は、会社法と言う制度に則った考え方が出来なければ駄目であろう。あいつ何もしていないじゃないか、などという愚痴は、取締役を辞任した相手にはまるで通らない。「~ちゃんはズルイ」という小学生の陰口となんら変るところがない。そんな理屈が通るなら、株主は皆、経営に参画したり従業員として働かなければならなくなってしまう。「所有と経営の分離」という根本原則を理解していない。

これに納得できない人は、「労働は尊いもの」という社会的通念と、なんとなくお金は汚いというイメージに支配されているのであろう。しかし、労働が尊いか否かとは関係なく資金力が力を持つのが資本主義の世界であり、下手な労働よりも資金投入の方がよほど効果が大きいという場面は多々ある。資金の着服、お為ごかしの安易なM&Aなどが論外であるのは勿論だが、精一杯前向きに取り組んだとしても(その努力は評価されてしかるべきだが)、結果として失敗であったならば株主価値を毀損したと非難されることが当たり前であることを忘れている。

要するに、この場合における労働=「がんばった」か否かは、取締役の善管注意義務に則って経営資本を適切に運用できたか問われるのであって、エントリの例はうまく出来たようだが、それが株主を非難する根拠とならないことは前述のとおりである。むしろ、嫉妬に駆られて株主の資産を取り上げようとする不当な行為であって、訴訟の対象となってもおかしくないだろう。シェアによっては逆に取締役の任を解任されるかもしれない危険性すら覚悟しておく必要がある。

従って、今回提案されている種類株式を使ったスキームを採用する必要はない(したければするのは構わないが)。「辞めたやつの株を買い取ろう」という発想自体が社会主義的で、資本主義下の制度との間に齟齬が生じるのは明白だ。このような歪んだ平等主義は幼稚で浅ましいだけであり、それがどうしても許せないというのであれば、いっそのこと他の組織形態を取ることを検討すべきであろう。

効能書の読めぬ所に効能あり 火曜日, 5月 22 2007 

最近マンネリ気味だが、日本のBlogosphereでは元娼婦と並ぶ文才の持ち主であるセックス・ブロガーの猿真似を試みて背伸びしてみたものの、当然ながら無残にも失敗している。

或いはそうかもしれません。ですがそれはマクロにおいては個々のメディアがキャズムを越える前段階までの出来事で、ミクロにおいては個々のユーザーが“気づき”に見舞われる前段階のイノセントにおいて、という条件付きのものだったんだろうと思っています。かつて他のメディアにおいて一時的に開花した幾つかのパワーが結局は汚濁に押し流されてしまったように、インターネット諸メディアにおける“言葉の力”もまた、コミュニケーション的で政治的な願望なり執着なりによって汚染されつつある、ようにみえます。

愚かな時代を視て、その愚かさに僕は適応したいです。 – シロクマの屑籠(汎適所属)

小難しそうな単語・専門用語・流行の外来語を使ってみたり、思わせぶりな物言いで箔をつけようとするのは、その能力のない者が何か高尚ぶった文章を書こうとするときに必ず用いる安易な手法である。「マクロ」「ミクロ」「キャズム」などの経済・マーケティング界の用語、「“気づき”」「イノセント」「“言葉の力”」といった思わせぶりなだけで意味の通じない言葉、「汚濁に押し流されてしまった」「政治的な願望なり執着なりによって」等の空疎な言い回し。

何を言っているのかさっぱり分らない。と言うか大したことは何も言ってない。ただただ人の真似をして背伸びがしてみたかっただけだ。借りてきた言葉で表面を飾り付けてみても、却って見栄ばかり張るそのいじましい性根が露わになるだけで、肝心の中身がないから言葉が空しく宙に舞うばかり。

格好つけるのが目的なのだから内容がないのはむしろ当然。本当に言いたいことがあるなら、己の力量にあった普段から使い慣れている言葉で十分であり、多少拙いところがあったとしても、趣旨は読む人に伝わる。

愚か、という他ない。

Bait for Stop Thinking 日曜日, 5月 20 2007 

タイトルからして嫌な感じがした。

これからの情報サービス産業はどうあるべきだろうか.顧客に製品やシステムではなく価値を提案すること.エンジニアは最新の技術や開発プロセスにキャッチアップして劇的に生産性を高めること.そこで生まれた付加価値がきちんと技術者に還流されること.かかる効率化で生まれた余裕が新しい技術の習得や研究開発に向けられること,その産業に関わる人々が将来性を信じられること.徹夜が続くこともあっても,給料が低くても,目標が明確で展望があり,慢性的でなければ救いがある.先が見えないのに報われないから腐るのである.

未来志向でヒトを大切にする情報サービス産業こそ日本を強くする – 雑種路線でいこう

政治家の演説みたいによくある理想論が並べられているだけで、じゃあ具体的には何をするのかって言えば何も書いてない。

「価値を提案すること」って、今までは何を提案していたの? ここでいう「価値」って何を意味してるの? 「最新の技術や開発プロセスにキャッチアップ」すると「劇的に生産性を高める」ことが出来るんだ。へえ。その技術や開発プロセスって具体的には何? 「劇的」ってのはどの程度なの?

…何も書いてない。

この転換のためには産業構造の改革が不可欠で,企業の再構築も重要だがファイナンスは必ずしも銀の弾丸とはならない.金融の自由化と並行して,新技術の実用化を促すエコシステム(イノベーション・パイプライン)の構築,情報工学教育の見直しや突出した個人が能力を発揮できる環境の整備,起業支援や雇用の流動化,取引構造のアンバンドルと系列に代わる信頼メカニズムの構築など,産業の基礎的なインフラを組み立てなおす必要がある.

未来志向でヒトを大切にする情報サービス産業こそ日本を強くする – 雑種路線でいこう

経済雑誌によく出て来る単語の羅列で箔をつけているものの、やはり具体的な施策は何もない。「産業構造の改革」だってさ。何をどう誰が改革するのさ。「企業の再構築」って一体何を? 

唯一の提案と言えそうな「解雇規制」の緩和(なのかな?)だって、何からどう手を付けるのかについては曖昧なまま。「大企業が自前でヒトを採ると切ることができない」と書いているところを見ると、人材の流動化のことを言っているようだけど、制度として導入されたら中小企業にだって適用されるだろうから、経営基盤の脆弱なそういうところから解雇権の濫用が起こって社会問題になるよ。

これって、分裂君式の釣りネタだろ? 分裂君とは違って文章自体はしっかりしており、改行を多用した幻惑的な物言いや誤謬はないけど、利いた風な理想論と口当たりの良い台詞が並べられているだけで、具体的な中身は何もない。この手の文章は、いろいろ言ってるようで実は何も言ってはおらず、曖昧な理想と根拠のない希望が作り出す雰囲気に釣られて思考停止するタイプの人間に丁度いい餌に過ぎない。

Shameless Apology, Shameless Excuses, Shamelessly poor Literacy – Part 2 日曜日, 5月 20 2007 

前回の続き。この辺りから彼の壊れ方は加速度を増していくのでたっぷりと楽しんでいただきたいw

ここギコ! : 俺はそんな自明な現象論には今さら興味なくて、もっと実学的な、「観測されるロングテールの需要に対する網羅性」という質的な部分に興味がある

「自明な現象論」とは、少し前の文章で述べている「現象としてロングテールという現象が観察されるか否か」であり、それについては「議論尽くすまでもなく俺も『ええ、確かに観測されますね、おしゃるとおり』と首肯する」と賛同しているのだが、議論の発端となったエントリで「群集によりコンテンツが提供される分野では、うまく働かないんじゃないかと言う気がする」と書いていたのでもうOUTであるw

次に、「観測されるロングテールの需要に対する網羅性」とは、後に特定のコンテンツ限定の話であったとする「『コマネチ大学がアップされないのは制作側が認めないからではない』ことを示そうとした」から推測するに、「オレはコマネチ見たかったけどYouTubeにはなかったよ」という個人的なくだらない話であったことが分かる。自分の見たかったものがたまたまそこになかったからと言って、Long Tailとは何の関係もないので、やっぱりOUT www

albinoalbinism : 「網羅性という、質の問題」などという頓珍漢な文章には頭がクラクラさせられる。網羅とは「そのことに関するすべてを残らず集めること。」であり、質は関係ない。従って網羅性について議論しているとき、それを質の問題として読むひとはいない。「網羅性が高い(低い)=質が高い(低い)」と言いたいのであっても、単に網羅性の問題といえば済むし、「質の網羅性」というように変換しても、全く同じである。

日本語に難があるので、はいOUT wwwww

ここギコ! : はてブを見ても「義務のないところで網羅されるかどうか、という話か。」というふうに、まさにキーワードであるところの「網羅性」を含めたコメントをしてくれている人もいるし

そんな台詞、いままで一言も吐いていなかったところを見ると、ぶくまのコメントから拾ってきたようである。他人の感想で自分の意見を補強しているようでは、どのみち最初から大した考えもなしにエントリを書いていたことがばればれw 「コマネチ大学」がアップされてなかったから網羅性もないよという愚痴に過ぎず、そんなこと言ったらAmazonは古今東西現在過去未来すべての本を取り揃えなければならなくなってしまうw

ここギコ! : なので、「誤解されたときは、さらに言葉を重ねるなり、その他いろいろな担保を提示したりして意図を伝えればいいのだ」ということで、受け取ってもらえなかった行間を説明すべく、2つ目のエントリを書いた。そしたら、何だ?要旨を変えた?要旨を変えたと見える部分が、自分が受け取る事のできなかった行間だと言う考えも思い浮かばなかったのだろうか?

はっきり言って、テールの糞味噌を云々していた「2つ目のエントリ」の内容は最悪である。だから反論や質問をしておいたが、未だにそれにたいする回答はない。ということは、自分ですらその「行間」を埋めることが出来ていないという証拠であろう。いや、説明してくれたら今からでも納得するから、早くしてよ。

ここギコ! : 別に自分が信念持って主張していることで、反対論者から何を書かれようが別に構わんが、自分が主張してもいないことで(確かにレトリックでそういう「表現」は使ったが、本筋で俺の主張したい事とは何の関係もない)ごちゃごちゃと絡まれるのは気持ちのよいことではない。

「そういう表現」とは「家庭用ビデオは糞」であり、それは「本筋で俺の主張したい事とは何の関係もない」と言い出した。しかし、彼はそれを「前提」と述べていたのだから、主張したい事とは大いに関係がある。つまらない逃げである。

ここギコ! : 俺が「ユーザのアップしたビデオは糞」と書いたのは、弾さんとの議論でターゲットになった「コマネチ大学」、すなわち自分の望む、探しているコンテンツではない時点で、他人にとってどれだけ価値があろうが目的があって特定のコンテンツを探している立場からは「糞」という意味であって、別に「ユーザのアップしたビデオ」全てが万人にとって糞だというような主張はしていない。

albinoalbinism : アンタ、全然そんなこと言ってなかったからw 「訂正」なんかじゃなくてただの改竄だからww
既に引用した通り、こいつはまず「テール」を「一定のニーズもあるにも関わらず、そのニーズがニッチ過ぎてヘッドには上がり得ない味噌テール」と「最初から箸にも棒にもかからない、需要もない糞テール」の2つに分けた。その上で、「家庭用ビデオなんかは糞テールの方だ」と明確に言ってのけたのだ。

「最初から箸にも棒にもかからない、需要もない」ものであった筈の「糞」の定義が、ころっと「探しているコンテンツではない」ものに変更されてしまった。テールには味噌もあった筈なのに、それはどうしたのだろうか。それは検索対象なのであろうか。では、ヘッド部分は? いくら考えても何を言いたいのかさっぱり分らない。要するにすべて嘘である。糞味噌はニーズの多寡で分けられていたし、検索の話なんかこれっぽっちもしていなかった。エントリを見比べればすぐにばれる嘘を平気で言う神経は到底理解できない。
また、ここでも「コマネチ大学」は例として上げられているので、下記のコマネチ限定主張と矛盾する。

ここギコ! : albinoalbinismは「ロングテール」の提唱者を信奉しているようだしその定義に厳密に従うことを至上命令と考えているようだが、はっきり言って俺は「そんなヤツのことなんてしらない」し、個別に生まれては消える数多の生きている議論の中で、いかに天才だったとしてもそういう全ての議論を想定していたとも思えない「そいつによる固定された定義」に、厳密に従う必要性も感じない。

「そういう全ての議論」とは、「コマネチ大学」がアップ云々であろうか。別にそれがアップされていようがいまいが、Long Tailはびくともしないだろう。自分の好みの番組がないと「固定された定義」にしてしまえる図々しさには驚くばかりである。

ここギコ! : 俺の意図は「需要の少ないコンテンツに関しては、個人がアップしようとするモチベーションが喚起されない(省略)」ことを論証することで、「コマネチ大学がアップされないのは制作側が認めないからではない」ことを示そうとしただけで、CGMがどうとかいう論点に関しては完全にその時の俺の意識にない。

小飼弾のいう「コマネチ大学」がアップされなかった理由を否定することが目的の、特定のコンテンツに関する主張であったと言い始めた。

albinoalbinism : 特定のコンテンツについての話であったなら、他のコンテンツは直接関係がないから、全体の傾向についての議論である Long Tailを持ち出す必要なんかまったくないじゃん。同じ理由から「網羅性」とも何の関係もないじゃん。「コマネチ大学」がアップされるか否かだけ話してりゃいいじゃん。まさに「Lousy Excuse」。いったいこれをどう取り繕う気なの?

オレはこの言説をエントリ中でウソと決め付けたが、本当であったと仮定して検証し直してみよう。

「コマネチ大学」が何故アップされなかったかなどということは知らないが、需要が少なかったからというのであれば、そうしよう。で、それが何だというのだ。それで話は終わりではないか。どこにLong Tailを持ち出す必要がある? たまたま「コマネチ大学」というひとつのコンテンツがなかっただけでLong tailに瑕疵が生じるというのか。逆にアップされていたらLong Tailは万全なのか。到底信じられる話ではない。

「前提」とされていたテールの糞味噌についてはどうか。彼に言わせれば、当然「コマネチ大学」は味噌なのであろう。どんな番組だったのか知らないが、それを糞と判断する人もいるのではないか。その場合には彼のおいた「前提」はどうなってしまうのであろうか。さっぱり分らない。実は「コマネチ大学」は大人気番組で、テールではなくヘッドであった場合、彼の理論はそれにどう対応するのであろうか。

「需要に対する供給の網羅性」とやらについては? 何やら需要に対して完璧に供給が満たされていないとLong Tailは成り立たないとでも思っているようであるが、勿論そんな筈はない。探している本がAmazonで見つからないこともあろう。そうすると、もうLong Tailは示現しないのであろうか。ばかばかしい。ここから、「需要」とは彼のものだけを言っていることが分かる。自分の見たかったものがなかっただけなのに、そんなことで人様の理論に難癖をつけているだけだ。

やっぱウソじゃん、これ。「コマネチ大学」がきっかけであったのは本当だろうが、そんなことで「ロングテールの論理は、群集によりコンテンツが提供される分野では、うまく働かないんじゃないか」などと言っていたのであれば、正真正銘のバカだよ! 「コマネチ大学」が味噌だったからと言って、それが「家庭用ビデオなんか糞」に繋がる理由もないから、やはりこれも彼が元から持っていた信条なり考えなんだよ。

前提だ誤読だ行間だ文章が下手だからだと五月蠅いので、お望みどおり「コマネチ大学」の話から始めてみたけど、やっぱり矛盾だらけだよ。どーすんの、これ。

Shameless Apology, Shameless Excuses, Shamelessly poor Literacy – Part 1 日曜日, 5月 20 2007 

あはは。ついに持説を遡って言い訳を探すのを諦めたのか、話題を文章の巧拙に逸らし始めたw

天文学的な歩数譲って、まあ俺の文章がヘタクソで俺が思ってるのと違う意図をalbinoalbinismに与えたんだとしようや。
別に俺の文章がうまくはないのは自覚してるし、だからこそ俺はその可能性については既に

俺の表現が下手でそう読み取れたのならば、ここで訂正する。

断ってるしな。
謝ってるしな、と書こうとして読み返したら謝ってはいなかったな、なのでそれならばここで謝ろう、俺の文章は下手だったかもしれん、すまん。

albinoalbinism救済投票フォーム設置しますた みんなalbinoalbinism君を応援してあげてください – ここギコ!

本心では謝る気がないのであれば謝ったふりなどするな。いくら「すまん」などと言って見せても、アンケートなど取って決着をつけようとしたり、「天文学的な歩数」を譲った仮定を置いたりしていては信用できる筈もなく、不誠実な人間性が露わになるだけだ。ここで言っている「訂正」とは、「糞」の定義を当初の「最初から箸にも棒にもかからない、需要もない糞」から「自分の望む、探しているコンテンツではない」に変更したことであるが、これだけの内容の変化が文章の巧拙で生じる筈もなく、こんなもの信じられるわけがない。姑息にも後からヤバいと思った部分を糊塗しているに過ぎない。

間違えない事より大事なのは、どんなに恥ずかしかろうが間違えた時に素直にその事を認めること、そしてそれを隠さない事だと思うんだけどなあ。」などと格好いいことを言っておいて、自分の場合にはこれである。こんな男の言うことを誰が信じられようか。「糞」の定義を検索対象外のコンテンツに変更したら、「ヘッドでなければ一律テール、ではない。その中に需要のレベルがある。」というエントリ自体が成り立たなくなるではないか。後からでっち上げたウソであることは明白なのに、さらに今度はそれが「文章は下手だった」せいにしている。恥ずかしくないのか。

どうやら先のエントリで書いた理由その②の「「Aである」という意図の下に「Bである」と書いていたことになるので、やはり言語能力において致命的な欠陥を有していることが分かる。」に縋って、反論できない数々の矛盾から逃れようとしているらしいが、こっちはそのような卑怯な態度が滑稽なので笑っているだけなのだ。

俺がお前が受け止めたのと違うことが言いたかったのだと言う可能性はお前も上の時点で気付いているはずだし、そしてその誤解の肝となるところが(引用部分省略)「ユーザの作成したCGMコンテンツは糞等という主張をしているわけではない」というところだと判るはずだ。
にも関わらず、相も変わらず

ここギコ!とかいう奴だ。彼は「家庭用ビデオなんかは糞」と言ってCGMを完全否定した経歴の持ち主だ。

等といった形で俺を利用するのは何でだ?

albinoalbinism救済投票フォーム設置しますた みんなalbinoalbinism君を応援してあげてください – ここギコ!

「『ユーザの作成したCGMコンテンツは糞等という主張をしているわけではない』というところ」が「誤解の肝」だって?? オレはその部分を誤解などしていないぞ。家庭用ビデオなんかは最初から箸にも棒にもかからない、需要もない糞テールだと明言していたくせに、後からこんなことを言い出すから笑ったのだ。これが完全否定でなくてなんなんだろう。あとからあとから違うことを言い出しては、これが本当でしたと言い張るその無神経さにはだだただ驚愕するばかりだ。恥というものを知らないのであろうか。

第一、「誤解の肝」であったのならば、それこそが原因であるから「俺を利用するのは何でだ? 」と聞く必要はない。恐らく「その誤解の肝となるところが」は「俺が本当に主張したいことは」というつもりで書いているのであろう。そうでないと「にも関わらず」で文章を繋げる意味がない。

滑稽だ。飽きもせずに毎回美味しいネタを提供してくれるw 思考が整理されていないからこういう羽目になるのであって、AというつもりでもBと書いてしまえば、他人はBと理解するのだ。それは誤解などではなく正解であるから、まずはそれを甘受しなければならない。それが文責というものであろう。彼にはそのような覚悟がまるでない。

で、この文のように、少し深く読み込めば、ははぁ本当はAと言っているつもりなのだなと分る場合もある。今、この男が行っている言い訳はこの方法である。AをBと書いてしまったのは「文章が下手」であったせいだが、Aを読み取れないお前も悪い、という論理だ。しかし、「糞」の定義の様変わりはそのようなレベルを超越している。「家庭用ビデオなんかは最初から箸にも棒にもかからない、需要もない糞テールだ」が、「検索対象外のコンテンツが糞」に変わってしまったのである。愚劣にもほどがあろう。本当であるなら何をどう書き間違えたのかの説明があっても良い筈だが、勿論この男は一回もそんなことをしていない。「どんなに恥ずかしかろうが間違えた時に素直にその事を認めること、そしてそれを隠さない事だと思うんだけどなあ」wwwwww

『ユーザの作成したCGMコンテンツは素晴らしい』といった(在り来たりの)」とか「日本でその事に気付いているのは俺一人だ(アホか)」などという言い方で、まるで最初から「ワタシハCGMの味方デス」みたいなふりをする、せこくてみみっちい態度も見逃せない点だw 

アンケートなど取ってどうしようというのであろうか。自分への投票が多かったら今までの矛盾を説明する必要がなくなるとでも思っているのだろうか。逆にオレへの支持が多かったならば負けを認めるのであろうか。オレは別にそんなことは望んでないよ。既に述べたとおり議論ができればいいのであって、そのためにはまずこれまでの疑問に答えてもらいたい。折角blogというシステムがあるのだから。この男には議論によってお互いを高めようという意識が全くない。だから何度エントリしても頓珍漢な言い訳しかできないのだ。真正面から相手に向き合うことが出来ず、議論を避けて逃げ回っているだけの、この小さな男にふさわしい言葉は「卑怯者」に他ならない。

いい機会だから、この男のこれまでの頓珍漢っぷりを振り返ってみよう。

ここギコ! : 要するに、ロングテールの論理は、Amazonのようにあらゆるコンテンツを網羅して提供する基礎がある中で、少数の需要が束になって大きな効果になる、といったところでは有効だけれども、群集によりコンテンツが提供される分野では、うまく働かないんじゃないかと言う気がする。

後に彼は、「俺の意図はコマネチ大学がアップされないのは制作側が認めないからではないことを示そうとしただけ」であると言い出した。つまり特定のコンテンツのみについての主張であったというのである。それが本当なら、「群集によりコンテンツが提供される分野では」という箇所は「コマネチ大学がYouTubeにアップされるか否かについては」でなければならなかった筈である。プ。だから真っ赤な嘘である。プププ。滑稽であるwww

albinoalbinism : その心理は分かるけど、ヘッドになるつもりでアップしても蓋を開けてみたらテールにしかならなかったというケースが大半だし、またその逆もあり得る。供給する時点で完全に需要が見えていることなんかまずないし、それが実現出来るなら誰も苦労しないしヘッドばっかりになってしまうことになる。

そんなことが出来るならば、作家は皆ベストセラー、bloggerは皆、例の「アルファ・ブロガー」となってしまい、そもそもテールというもの自体が存在し得ないこととなる

この辺りはまだ通常の議論なのだが、「前提」を捏造し始めたので事態は急激に香ばしくなっていく。

ここギコ! : 前提が違いすぎる気がするね。ヘッドに入らないコンテンツは、何でも一律テールなんだろうか?

albinoalbinism : 「ロングテールにおけるヘッドとは現存する最も大きな小売店に置いてある商品の集合体(あるいは数)を指し、テールとはそれ以外の商品を集合体として呼ぶ際に使われる。ロングテール – Wikipedia」 そうなんだってばwwwwwwロングテールではwwwwwwwwwwwwwwwwww

ここギコ! : 極めて良質なコンテンツで、一定のニーズもあるにも関わらず、そのニーズがニッチ過ぎてヘッドには上がり得ない味噌テールもあれば、最初から箸にも棒にもかからない、需要もない糞テールもあるだろう。私が論じているのは、糞テールはどうでもよくて、味噌テールの話である。

「最初から箸にも棒にもかからない、需要もない」ものを「糞テール」と定義していた点をよく覚えていてもらいたい。後に彼は「すなわち自分の望む、探しているコンテンツではない時点で、他人にとってどれだけ価値があろうが目的があって特定のコンテンツを探している立場からは『糞』という意味」と言い出したのである。悪文過ぎて読みにくいことこの上ないが、要するに検索対象外のコンテンツが糞である、と全く違うことを言い始めたのである。

albinoalbinism : そりゃあテールの中身にはいろいろあるだろうけど、なんで「糞テールはどうでもよくて、味噌テールの話」に限らなきゃいけないわけwwww 第一、「糞」と「味噌」は、いったい誰がどういう基準で分けるのよwwwwww もしも、ある人が「ここにあるテールは全部糞!!」って判断したならテールはなくなっちゃう訳??

そして、彼の幼児的身勝手さが存分に発揮されている個所でもある。テールを分けるのであればその基準を示す必要があるが、「コマネチ大学」が「味噌」であるにも拘らずアップされていなかった個人的な不満をChris Andersonの理論に転嫁したに過ぎないので、そんなことすら出来ない。質については個人的主観が多いに絡んでくるので下手に一般化できないということも分からないから、「コマネチ大学」を「糞」に分類する人だっているであろうことを想像することも出来ない。

ここギコ! : そういう糞も味噌も一緒にして、テールはちゃんと出てくるのだから問題ないんだよ、というのは話が違う。

albinoalbinism : ロングテールってのは、文字通りテールがロングになるって話なんだから「糞も味噌も一緒にして」いいんだよwwwww 個々の中身について論じたければロングテールとは別の話にしなけりゃwwww

ここまで言うならば「糞」と「味噌」の分け方と分けようとする主体は誰なのかを説明する義務があるだろう。しかしこれまでそれは一回も為されたことがない。都合が悪い部分にはほっかむり、という態度である。

ここギコ! : 家庭用ビデオなんかは糞テールの方だ、そんなのが増えたところでテールが充実したとはとても言えない。本でいうなら、人気ブログでもなんでもないそんじょそこらのブログが自費出版で書籍化したのがAmazonにあるようなもんだ。そんなもんはどうでもいいのだ。

自分が興味のないものはテールですらないらしい。素晴らしい自己中心性である。

albinoalbinism : 多くのV-ResponseやCommentが付いて話題になっているgeriatric1927さんはどうなるのよww もう既にWikipediaの項目さえ出来てるくらいなんだけど? この人のコンテンツは紛れもなく「家庭用ビデオ」であって、しかも「糞テール」どころかヘッドの方に位置しているんだけど?

恐らくこの時点ではgeriatric1927の爺さんのことなんか全く知らなかったのであろう。ちょいと辺りを見回してから自分の言っていることを検証してみれば例外はいくらでも見つかった筈で、それが出来ないのはやはり幼児的自己中心性を軸とした思考しかできないからであろう。

ここギコ! : 見逃した「コマネチ大学数学科」をYouTubeで見たいのに、見れない。YouTubeではロングテール需要に供給が応えてくれないのは何故だ?

albinoalbinism : たまたまYoutubeに「コマネチ大学数学科」がなかったからって、そんなこと知らないよwwwwww(腹痛ぇぇぇ)
一企業であるAmazon が「普通の本屋ではまず買えない」本を提供していたのに対して、「群集」が「提供者」であるYoutubeはテールを揃えられなかったと言いたいんだろうけど、別々のものを取り出して比較が成り立つとでも? wwww じゃあ、YoutubeにあるコンテンツとAmazonにないコンテンツを持ち出せば結論は逆に???

後に「コマネチ大学」限定の話であったと言い出すのだが、どう見てもひとつの例証として言及しているだけだ。ひとつのコンテンツに特定した話であるならば、全体の傾向についての理論であるロングテールは全く関係がない。単なる自分の趣味嗜好を流行りのbuzzwordに絡めて権威付けようとした結果がこの様である。更には、これも後で言い出す「網羅性」とも食い違う。限定の話に網羅性が関与する余地はない。もしも「コマネチ大学」がなかったから「網羅性」がないというのであれば、これはもう子供が駄々をこねているのと同じである。いくらなんでもそんな話は馬鹿馬鹿すぎる。自分が好きなものがあったなら「網羅性」があると言い出すのだろうかwww

ここギコ! : ミクロにそれをアップする個々人の視点で見れば、個人のコンテンツアップに費やせる時間、労力といった点で制限される『陳列棚』が存在するわけで、必然『「1つ1つでは大した需要が見込めないようなコンテンツをアップする」際には本当にそれで良いかをそれなりに吟味する』商売人と同じ心理が働くわけだ。

albinoalbinism : 時間と労力に制限があるんであれば「需要が見込め」るものをアップしようとする心理は分かる(それは前にも言った)。しかし、それによって「群集はロングテールの提供者たりえない」と言ってしまうと、(企業が提供するコンテンツを別として)テールはロングにはならないということになってしまう。SEO的なアプローチとロングテールをごっちゃになってるよ!

彼の頭の中で何と何がごっちゃになっているかをここで述べた。「商売人と同じ心理が働くわけだ」などと言っているが、商売してても売れない商品は発生するので、「ロングテールの論理はうまく働かない」などということはない。何故こんなことを平気で言えるかと言えば、それは勿論「幼児的自己中心性」であり、自分の気に入ったものがなかったからぶうぶうと不満をたれているに過ぎない。

albinoalbinism : 個人の集まりである「群集」がテールの長さをコントロールできるというなら、実例を持ってそれを証明してよ!! 対象とするコンテンツの例はblogでいいんじゃない? 個人がそこそこの需要が見込めるコンテンツだけをアップした結果、短いテールしか示現しないという例を見せて欲しい。

これに対する回答も未だにない。オレは「人気ブログランキング」を使って反証を試みたのであるから、さっさと提示してほしい。

ここギコ! : でも、自分がそうだとは言わないが、世の中にはヘッドも書ければテールも書ける、という人もいる。

albinoalbinism : 「自分もそうだ」って言いたいんでしょ!? そうでない限り、前後の文脈からしてこの部分は全く不要だもんねwwwww

ww

ここまで言えば引き下がるかと思いきや、流石はこれだけの矛盾に何も疑問を感じない人だけあって、平然と次のエントリを上げてきた。香ばしさはますますその度合いを増し、キチガイじみてくるのである。

続く

The liar still be a liar, spreading his lies around blogosphere and self-satisfied. What a Shame! 金曜日, 5月 18 2007 

あー、トラックフィードね。って、詳しくは知らないがw それでいつもResponseが早いのか。いや、ちょっと違うな。「流入」に気付くのと反応するのとは別段階のハナシだもんね。うざいなら無視しときゃいいものを、スルーすることもなく毎回毎回しっかりと応答してもらっていることに素直に感謝せねばなるまいw あげてくるエントリ全てが突っ込みどころ満載でネタの宝庫。「もうやるなよ、今度はやるなよぉ~」という願いを込めて、「『A』と言っておいて反論されると『Bが前提』と言い訳し、それも簡単に論破されると『行間を読めばCであることが分かるだろう』といった具合に、次々と時をかける少女にでもなった気分で目まぐるしく自説を新解釈しては、言ってもいないことを言ったと主張して反論にもならない反論を臆面もなく繰り返す、とても愉快な人物だ。」と書いたのに、今回もしっかり「D」を提供してくれちゃうんだから、笑いが止まらない。

いや、読まれないブログを書くのは別に問題ではないが、そんな側が「ヲチでもしてるわけ?」等と夜郎自大な自意識でモノ書いているのがじつにおかしい。

albinoalbinismペタウザス – ここギコ!

夜郎自大って「自分の力量を知らずに威張ること」でしょ? ヲチしているわけもなかろうから、なんであんなにResponseが早いのかなって言っただけなのに、なんでそれが「夜郎自大な自意識」になるわけ? 「そんな側」つまり「読まれないブログを書」いている奴が「威張っている」のが「じつにおかしい」というなら、アクセスの多いbloggerは威張ってもよい、アクセスこそが「力量」であると言っていることになっちゃうんだけど、流石は尊大な態度をお取りになりますなぁww

ね? 「愉快な人物」でしょ? 何も考えもせずに書いているから、相手を攻撃しているようで、実は自らの「夜郎自大な自意識」を詳らかにしておられるw 毎度のことながら実にCute!

お前が勝手にこの記事からでぶった切っただけで、ちゃんとその記事からも先記事に先頭でリンクは貼っているし、文脈はそこから続いているのだから。

albinoalbinismペタウザス – ここギコ!

予想に違わず今回も反論はなし。「ぶった切った」のはCGMに関してのエントリだったからで、元のLong Tailに関する部分は直接に関係なかったからに過ぎない。「前提」として「論じて」おきながら「主張したいこととは何の関係もない」と言うので笑っただけだ。「テール」を「味噌」と「糞」に分けていたくせに、今度は「検索対象外のコンテンツが『糞』という意味で言ったんだ」などと言いだしたので、きゃー素敵!と腹を抱えただけだ。いったい何が本当なんだよw これらの言説は明らかに矛盾しているが、そうでないと言うなら真正面から反証すればいい。納得させてくれれば「分かりました」と引き下がるが、それすらしないのであれば軽蔑の念は深まるばかりである。

「文脈はそこから続いているのだから」なんて言ってるが、一所懸命「文脈」を遡って言い訳を探しているに過ぎない。こいつがやってることは、猫から始まった一連の話の中で犬には尻尾がないと言ってしまい、そこに突っ込まれると苦し紛れに猫の話をしてたんだと言ってる様なもんだww 滑稽。陳腐。哀れ。惨めったらしい。

「前提を後出しした」とか「先に言ってなかったことを後から言った」とか抜かしてるのは、albinoalbinismが当然以前からの文脈を引き継いで議論しているもんだと思っていたら、どうも勝手に自分の見たところからぶった切って軸のずれたところで議論している、ということに徐々に気付いたからであって、最初の弾さんの記事から見てもらえば別に俺は一貫した主張をしていて、むりやり議論を捻じ曲げているのがalbinoalbinismの方だと判るはずだ。

albinoalbinismペタウザス – ここギコ!

部分は全体を構成する要素なんだから、「ぶった切って」その是非を検証するのはごく自然な行為である。前提や条件に難があれば結論も疑わしいと判断すべきであろう。「一貫した主張をして」いるならば、何も恐れる必要はない筈だ。本論と無関係な「部分」などをあげつらったのだとしたらバカだが、彼が「前提」だの「論じているのは」と明言しているところの、まさに本論に直結する事項を個別に検証しただけであって、それで「軸がずれ」てしまうというのであれば主張に一貫性がない証拠であり、自分の言説を自分で否定しているに他ならない(ことに気が付かないのかよおい)。

これまでオレが提示した様々な疑問に対してただの一回も反論することなく、「前提」を捻出してみたり、「誤読」だと言ってみたり、「行間を読め」、「文脈」だのと言っているのは、それが出来ないからであろう。実際、これまで唯の一回も「ぶった切っ」た部分それぞれについて弁明すらしたことがない。例えば、「ヘッドに入らないコンテンツは、何でも一律テールなんだろうか?」なんて言っていたから、Wikipediaを引いて「それでいーんだ」と言っておいたのだが、これに対する反論はない。テールの中の「糞」と「味噌」を誰がどうやって区別するのか、という疑問に対しても返事はなし。これらについて個別に議論しようよ。何故しない? 個別の事項について触れると拙いことになるから、「ぶった切った」などという表現でそれが何か悪いことのような印象操作をして、本論から切り離そうとしているだけだろう。

要するに、立証することも出来ずに都合の悪くなった自らの言説から逃げ回っているだけであるのは明らかであり、「むりやり議論を捻じ曲げている」と彼が感じるのは、幼稚な自己中心性から来る独りよがりに過ぎず、その証拠に決して立証しようとはしない。自分の意図が伝わらないのはまともな文章が書けないからだ。

この男の文章の拙さは、上記の引用文からも明らかだ。2つに分解してみよう。

「『前提を後出しした』とか『先に言ってなかったことを後から言った』とか抜かしてるのは、albinoalbinismが当然以前からの文脈を引き継いで議論しているもんだと思っていたら、どうも勝手に自分の見たところからぶった切って軸のずれたところで議論している、ということに徐々に気付いたからであって、」

この文章はどこからどう読んでもおかしい。おかしいと思わない奴は、文法が分らないから文章を断片的にしか捉えることが出来ず、更にはそれを自分の頭の中でいい加減に再構成をしてしまう癖の持ち主だ。そのようなバカは論理的思考が身につかないから誤読しか出来ないし、文章を書いても支離滅裂なものにしかならない。こういう奴は世の中にいっぱい出回っており、同じ病を抱えている者同士では話が通じ合ったりする(あるいは通じ合ってもいないのに通じ合っていると思い込むことが出来る)。

この文章はまさにその典型だ。オレがいろいろと「抜かしている」その理由は、彼が「~ということに徐々に気付いたから」であったのだそうだ。へえ~そうだったのかw 「気付いた」で「。」を打って文を一旦終わらせないからこのような羽目になる。「から」を付けたことによって理由の説明になってしまい、更に「であって、」を加えたもんだから、ここまでの文全体が以降への前置きになってしまった。悪文の極みである。

後半部分との関連も不明瞭である。

「最初の弾さんの記事から見てもらえば別に俺は一貫した主張をしていて、むりやり議論を捻じ曲げているのがalbinoalbinismの方だと判るはずだ。」

先の「気付いた」の主語は言うまでもなく彼自身であり、「判るはずだ」の方は読者だ。彼が「気付いたから」読者は「判るはず」なのかw ぜんぜん繋がってないし、文章自体も拙い。せいぜい中学生レベルだ。オレなら「最初の弾さんの記事を見てもらえば、albinoalbinismはむりやり議論を捻じ曲げているに過ぎず、一貫した主張をしているのは俺の方であることが判るはずだ。」と書く。

揚げ足取りだって? とんでもない。このような意味不明の文章しか書けない言語障害が、「誤読」「行間を読め」「文脈」と言ってみても、何の説得力も持たないことがよく分かるだろう。自国語すらきちんと使えないバカが、滑稽にも意図するところが伝わらないのを勝手に怒って「誤読」呼ばわりしているが、自分に表現力がないのが原因なのであって、人は普通に「正読」しているだけなのだ。要は彼が国語の勉強をサボっていただけの話なのである。

そんな彼だから、飽くこともなく自分で設置した地雷を踏んでおり、しかも自分ではそれに気付いていない。

俺の意図は「需要の少ないコンテンツに関しては、個人がアップしようとするモチベーションが喚起されない(一応先に書いておくけど、生活を記録したいとか個人が露出したいとか、そういう別の部分でモチベーションが喚起されるCGM的コンテンツについては話が別)」ことを論証することで、「コマネチ大学がアップされないのは制作側が認めないからではない」ことを示そうとしただけで、CGMがどうとかいう論点に関しては完全にその時の俺の意識にない。

albinoalbinismペタウザス – ここギコ!

今度は「文脈」を持ち出して「コマネチ大学」という特定のコンテンツに原点回帰しようとしているが、上記の引用文からは下記のような結論を引き出すことが出来る。

  1. まず、彼の意図は「コマネチ大学」がアップされない理由を示すことにあり、そのために「需要の少ない~ことを論証した」、と言っている。つまり目的は「コマネチ大学」という特定のコンテンツに関する考察にあったことが明確にされたわけだ(これが自分で設置した地雷だ)。しかし彼は、「起点」となったエントリ「群集はロングテールの消費者たりえても提供者たりえないのではないか」において、「要するに、ロングテールの論理は、Amazonのようにあらゆるコンテンツを網羅して提供する基礎がある中で、少数の需要が束になって大きな効果になる、といったところでは有効だけれども、群集によりコンテンツが提供される分野では、うまく働かないんじゃないかと言う気がする。」と言っていたのだ。主語は言うまでもなく「ロングテールの論理は」であり、結論は「うまく働かないんじゃないかと言う気がする」。どういう場合にかと言うと「群集によりコンテンツが提供される分野」においてであり、だからこそタイトルが「群集はロングテールの消費者たりえても提供者たりえないのではないか」となっている。

    またウソをついている。主語が「コマネチ大学」は、となっていたのであれば兎も角、これだけ首尾一貫して「ロングテールの論理」を語っていたくせに、どこが「コマネチ大学」限定だというのであろうか。糞下らない。どうせまた「前提が~」と言い出すに決まっているが、オレは前提はどうあれ、ここの部分について議論を吹っ掛けたのだ。前提は前提。それが「コマネチ大学」であったにせよ何にせよ、そこから導かれた主張がLong Tail理論についてであったことは明白ではないか。

    kokogiko2.jpgkokogiko3.jpg

    自分が以前に持ち出した前提「テールに糞味噌がある」は、どこへ行ってしまったのだろうか。「コマネチ大学」が「味噌」であるならアップされていた筈である。「糞」であったなら、「コマネチ大学」は家庭用ビデオである筈である。これのどこが「一貫した主張」なのであろうか。更には「網羅性の問題」とも言っていたが、特定のコンテンツについて述べているなら「網羅性」は関係がない。万事がこの調子なのである。

    グチャグチャな文章を書いた本人がそれをグチャグチャな頭で再読み込みしては、なんとか言い繕える箇所はないかと必死になって探している様が窺えて、とても微笑ましいw プライドを保つために自分で自分を洗脳しているから、整合性や一貫性は置き去りである。

    kokogiko.jpg

    ①この嘘が意図的であるなら、かなり間抜けだ。元のエントリを見れば、「コマネチ大学」に関する以前のエントリにリンクしているだけで、「コマネチ大学」という言葉も出てこなければ、「コマネチ大学」に限定された内容になっていないのは一目瞭然であり、新しく捏造された言い訳であることは明白。そのリンクの文章だって「ロングテールな需要を持つ動画はYoutubeではアップされないのではないか」と、複数の動画一般を想定した文となっている。何故なら、「コマネチ大学」という特定の動画を意味するなら、ロングテールのヘッドに位置するかテールに位置するかという議論は出来ても、「ロングテールな需要を持つ」などと書いてしまっては意味不明だからだ。であるからして、自分でもこのとき「コマネチ大学」だけでなく、その他を含めた全体の話をしようとしていたのは明白なのだ。

    自分の好きな番組がアップされてなかったっていう、くっだらない個人的な話を全体(=Long Tail)に敷衍してしまったことが最初から間違っている。既に述べたことだが、アップされてた別のコンテンツで論を引けば直ぐに結論は逆になってしまうではないか。そんなこと小学生でもやらない。

    ②本気で「コマネチ大学」についてのみ論じていたつもりであったならば、「Aである」という意図の下に「Bである」と書いていたことになるので、やはり言語能力において致命的な欠陥を有していることが分かる。こういう人はblogはやらない方がいい。VlogかPodcastに移行した方が誤解を招く確率は減るであろう。そこでも言葉は当然使われるから、最後はジェスチャーくらいしかないwww

    ③数ヶ月を経て、自分でも何を書いていたか把握しきれていない、というのであれば、今頃になって蒸し返したこちらにも責任があろうが、うーん、あんまアタマ良くないね。さぁ、どの理由がいい?

  2. 「需要の少ないコンテンツに関しては、個人がアップしようとするモチベーションが喚起されない」という彼の言い方に、オレは幼児的自己中心性を感じる。「アップしようとする」「個人」は、「需要」を予見出来る、という前提がなければ上の文は書けない。そんなことが出来るならば、作家は皆ベストセラー、bloggerは皆、例の「アルファ・ブロガー」となってしまい、そもそもテールというもの自体が存在し得ないこととなるが、そんな可能性を信じることができるのは幼稚園児くらいのものである。既に何度も書いているが、ニーズの存在が明確となっている分野、ウケそうな内容についてのコンテンツに多くの人が引き寄せられるのは自然の成り行きであるにしても、万人がそのような行動をとるとは限らないし、逆にそのような分野の競争は激しくなって、結果的にテールが長くなってしまうことは小学生でも分かるであろう。

    これは、世界は自分を中心として回っている式の幼児的思考だ。事実「私はロングテールな需要としては多分それなりに有用で、ちゃんと最後まで追求すれば有用な人にとってはすごく有用になるかもしれない続きもののエントリを持っていて」なんて書いていたから、「個人」とは彼自身を指していると思われ、その自意識の高さには辟易とさせられる。オレはすっげえ優秀な書き手なんだけども、需要を考えたら(これも完璧に読めるんだぜ)アップを躊躇うこともあるんだよーん、って言ってるわけだw 恥ずかしくないのかね~こんなこと書いて。

    そもそも単なる個人的な自尊心をYouTubeやLong Tailなどに引っ掛けてひけらかそうとするチンケな権威主義が発端となっていることがその原因なのであって、必然的に主張は歪んだものとなり、また間違いを指摘されても認めることが出来ない。主張の是非など最初から問題でなく、全ては幼児的な自尊心の問題なのだ。毎回毎回、言い訳が異なっているにも拘らず、恥ずかしいとも思わないのはその辺りが盲点となってしまっているからだ。

    そんな「夜郎自大」な内容をLong Tailに絡めて論じていたので、違うのではないかと指摘したのだが、すると「テールを糞味噌に分けることが出来て、論じているのは味噌のみ」とか「家庭用ビデオなんかは糞テールの方だ、そんなものが増えたところでテールが充実したとはとても言えない」とかいうのが「前提」とか言い出し、それにも反論すると今度は「網羅性の問題」と言い出し、今度は「コマネチ大学」限定の話であったと言う。

    特定のコンテンツについての話であったなら、他のコンテンツは直接関係がないから、全体の傾向についての議論であるLong Tailを持ち出す必要なんかまったくないじゃん。同じ理由から「網羅性」とも何の関係もないじゃん。「コマネチ大学」がアップされるか否かだけ話してりゃいいじゃん。まさに「Lousy Excuse」。いったいこれをどう取り繕う気なの?

  3. 「CGMがどうとかいう論点に関しては完全にその時の俺の意識にない」んだそうだ。その時に意識してようがいまいが、「テールに味噌と糞があり、家庭用ビデオは糞テールだ」ということを彼が「前提」としたことには何の変わりもないので、やはり勃興しつつあるCGMの敵であることは明白。加えて今回は、「前提」はもう使えん!!と、代わりに「文脈」という言葉を持ち出して「コマネチ大学」限定と言い出したわけだ。おいおいおいおいwwww

なぜ? なぜにあなたはそんなにウソが下手なの? 毎回違う言い訳をしてそのすべてに整合性が取れてなければウソだとバレるに決まってるでしょw 「ぶった切った」からダメとか言って個々の議論の反証を放棄すれば、逃げてると思われるに決まってるでしょ? いい年して何故そんなことも分からないの? これまでいったい幾つの矛盾した言い逃れをしてきたの?

ぽっと出の若造がアホ抜かしとんとちゃうぞ。

albinoalbinismペタウザス – ここギコ!

ぽ、「ぽっと出」だって。ぷwwwプププwwww どうやらお年を召された方だったらしいw てっきり20代の「若造」かと思ってた。だって幼稚なんだもん。反論も出来ずに前提が違うと言ってみたり、「網羅性という質の問題」と言ってみたり(辞書引きなよ)して逃げ回り、自分に都合の悪い箇所についてはだんまりを決め込む。幼稚だよ。まともな文章も書けないくせに、「誤解された」と言っては泣き言を繰り返している。文責は放棄し、分ってくれないと駄々をこねているようでは、小学生レベルだよ。

あのね。大人だったら、きちっと反論を為すか、しないのであれば書いた内容に関するリスクを黙って引き受けるものなのよ。そのどちらも出来ず、散々言い訳にもならない言い訳を繰り返したのち、最後にゃ甘えに入っている。

もっとも、albinoalbinismは「勉強だけは」原典にあたってかなりしているようだし、その意味からすると俺の「ロングテール」の使い方が間違っていたかもしれない?(よく判らんが)ことがこじれた原因かもしれないが、厳密な学術議論ならばともかく、一般社会で重要なのはむしろ文脈を捉える力のほうだと思うのだが?

albinoalbinismペタウザス – ここギコ!

「こじれた原因」は言うまでもなく、後付の言い訳にあることがまだ分らないらしい。もしも「『ロングテール』の使い方が間違って」いたことを認めるならば、素直に一言「あっそうだね。そこんとこは違ってた。」と言えば良かった筈だが、プライドが邪魔をしてこんなひねくれた書き方しか出来ない。大人ではない。逆に、あくまで正しいと主張するならこちらの批判それぞれについて反証を試みるべきであろう。エントリを書くたびに言うことをころころ変えるようなみっともない様をさらした挙句、最終手段なのか、一般人なんだから許してぇ~と泣き言をたれている。コドモだ。幼稚園児だ。

前にも言ったように、高がblogだ。学者でもないのに学者ばりの議論をする必要はない。間違うこともあろう。必ず正しいことのみを言えなどという強制なんかしていない(出来る筈もない)。但し、他者から突っ込みが入ることもあるのは当然だし、反論できなければ負けを認めたと判断されようし、頓珍漢な言い訳ばかりしていては笑われるだけの話である。それを「厳密な学術議論ならばともかく、一般社会で重要なのはむしろ文脈を捉える力のほうだと思うのだが?」というのは明らかに逃げであり、甘えである。まるで「文脈」という言葉が大雑把という意味でもあるかのような使い方をし、個々の拙劣な部分は全部見逃してくれと言っているに過ぎない。

albinoalbinismは「ロングテール」の提唱者を信奉しているようだしその定義に厳密に従うことを至上命令と考えているようだが、はっきり言って俺は「そんなヤツのことなんてしらない」し、個別に生まれては消える数多の生きている議論の中で、いかに天才だったとしてもそういう全ての議論を想定していたとも思えない「そいつによる固定された定義」に、厳密に従う必要性も感じない。
そんな原理主義的というか福音主義的というか、「提唱者の彼はそんなこといってないからおかしい」みたいな議論に、何の必要性も建設性も見出せない。

albinoalbinismペタウザス – ここギコ!

Long Tail論の難点を指摘してやったぜ風に威張っていたくせに、旗色が悪くなってくると「そんなヤツのことなんてしらない」なんて言って後ずさりを始めたぞwww そのくせ、まだ空威張りをしてやがるw ほんと、みっともない奴だなぁwww 「厳密に従」おうがどうであろうが、誰も強制していないのだから好きにすればいいけど、間違っているんじゃ仕方ないだろwww

オレはChris Andersonの言うことをむしろ疑っているし、また「群集はロングテールの消費者たりえても提供者たりえないのではないか」という主張については、Chris Andersonの理論に合致しているか否かではなく、常識に照らし合わせておかしいと思ったから反論し、その後の矛盾だらけの言い訳については、ひたすら大笑いしているだけである。「原理主義」だの「福音主義」だのという問題でもない。元の理論と異なっていようが、そっちの方が正しそうだと思ったからそう書いたことは上のリンクを辿ればすぐに分かるから読んでみな。そこまで言うなら、英語だからと言って逃げるなよ。(ま、どーせ逃げるに決まっているが。)

そのくせ「他人は皆自分より馬鹿」という視点で書いて落としどころを見つけようともしない傾向があるようだ。

albinoalbinismペタウザス – ここギコ!

このような視点は罵倒系blogに対するお決まりの批判であって、論理で勝てないからその代りに礼儀を持ち出そうとするものだ。バカと言ったくせにきっちりと反証されてしまえば自分が二重にバカになるので、かなりリスクを負ったやり方である点にまでは想像が及ばないようだ。

罵倒されて頭に血が上り、反論もできずに言い訳を繰り返すことこそ、自分が「他人は皆自分より馬鹿」と思っている証拠に他ならない。議論によって自分の間違いに気づけば自分が、オレの疑問が頓珍漢なものであったならオレがひとつ賢くなれるチャンスであり、それこそが「建設性」に他ならないのに、最初からその機会を放棄しているのは結局のところ自分が可愛いだけであって、自分の言っていることこそが正しいのだと自惚れているからに過ぎない。安っぽい自尊心を必死になって守ろうとしているだけだ。だから、うざいうざいと言いつつ無視も出来ないのだ。「何の必要性も建設性も見出せない」のはこっちである。

それでいて、「落としどころを見つけようともしない」などと言って助けを求めているのには苦笑せざるを得ない。そろそろプライドが傷つかない着地点を見つけてほしくなったかw 否定したって無駄だ。そういう気持ちがなければ出てこない台詞だからな。こういうのを語るに落ちるという。

というかお前、落ちてばっかりwww

CGMで活躍する奴と頭からそれを否定する奴 火曜日, 5月 15 2007 

OMG, this is awesome…..!!!

A must watch. Incredible new music video directed by Lasse Gjertsen for the Italian cellist Giovanni Sollima on two of his compositions; “Terra Aria” and “Concerto Rotondo”.

Giovanni Sollima – Sogno ad Occhi Aperti (Daydream) PART II – VideoSift

Redley Scott の Duelist を想起させる美しい映像に激しいCelloの演奏。これはいったい…!?

Giovanni Sollimaというイタリアの作曲家兼チェリストの映像を作成したのは、あのFunkyなにーちゃんではないか。

Lasse Gjertsen (born July 19th, 1984) is a Norwegian animator, musician, and videographer known on YouTube as lassegg.[1] He is best known for his short pieces “Hyperactive” and “Amateur”, which string together short clips of video to create a unique form of video akin to stop-motion animation. His “Hyperactive” video has over 10 million views.

Lasse Gjertsen – Wikipedia

HyperactiveはYouTubeの2006 Video Awards でMost Creative 部門3位となったから、見た人も多いであろう。せっかくだからpart1も見逃す手はない。

This is a music video for the italian cellist Giovanni Sollima, on two of his compositions; “Terra Aria” and “Concerto Rotondo”. Enjoy!

Giovanni Sollima – Sogno ad Occhi Aperti (Daydream) PART 1 – YouTube

彼はKent Institute of Art & Designって所でアニメーションを学んでいたんだけど、そこの先生がHyperactiveを評価しなかったから辞めちゃったんだって。どんだけアタマ固いんだろうね。どうせ古典を崇め奉るだけの権威主義のバカだろうね。

もう一本、彼の有名なビデオを。

Amateur – Lasse Gjertsen – YouTube

これもかなり話題となったので見たことのある人は多いであろう。Amateurというタイトルは非常に示唆に富んでいる。Gjertsen君は楽器の弾けないAmateurなのだが、それでも叩いた一音一音をつなぎ合わせるとひとつの曲に仕上がってしまう。つまりテクニックをテクノロジーがカバーしているわけだ。それだけなら打ち込み系と言われる人たちが一所懸命sequencerに向かって曲を作っているのと本質的には変わらないが、プロでないAmateurはレコード会社と契約をしているわけではないから、作った曲を発表する場は限られていたわけだが、Internetが身近になってからはHPを立ち上げて披露する事が出来るようになったし、Web 2.0とか言われる時代となって更にそのようなことが手軽に実現可能となった。

Internetが新しかったのは、個人が誰でも簡単に情報発信できるようになった点であって、90年代に検索エンジンがポータル化と称して既存メディアの真似に走ったのは、実につまらない行為であった。当時においてそれが正しい選択肢であったとすれば、ユーザーもまた実につまらない代物であったと言わざるを得ない。世紀がかわり、漸くWeb 2.0という名の下で個々のユーザーがコンテンツの担い手となった今、その動きはじわじわと広がりを見せている。

…日本を除いては。

ここでオレはネットに潜む、Kent Institute of Art & Designの教師に匹敵する愚か者を思い起こさずにはいられない。ここギコ!とかいう奴だ。彼は「家庭用ビデオなんかは糞」と言ってCGMを完全否定した経歴の持ち主だ。

彼は単に愚かであるに留まらず卑怯者でもあって、「A」と言っておいて反論されると「Bが前提」と言い訳し、それも簡単に論破されると「行間を読めばCであることが分かるだろう」といった具合に、次々と時をかける少女にでもなった気分で目まぐるしく自説を新解釈しては、言ってもいないことを言ったと主張して反論にもならない反論を臆面もなく繰り返す、とても愉快な人物だ。どうせならエントリを改竄してしまった方が早いとさえ思えるがSS撮られてりゃアウトということがよく分かっているか、あるいは自分が書いたことを後から自分で捻じ曲げても矛盾を感じないfunkyな神経をしているかであろう。

議論にならないまま一方的に論破して打ち切ったのが8月、その後12月に別のエントリでちょいと触れたのだが、なんともスルー力のないことに、Trackbackを送ったわけでもないのにすぐさま何か反応していたようだが、どうせまた言ってもいない「前提」をでっちあげてごたごた反論しているに違いないとthroughしていた。今回、久しぶりに彼の存在を思い出してそのエントリを読んでみたのだが、まったく予想通りであったのには笑った。進歩ねえなぁ、こいつ。

別に自分が信念持って主張していることで、反対論者から何を書かれようが別に構わんが、自分が主張してもいないことで(確かにレトリックでそういう「表現」は使ったが、本筋で俺の主張したい事とは何の関係もない)ごちゃごちゃと絡まれるのは気持ちのよいことではない。

albinoalbinismテラウザス – ここギコ!

なんとまぁ今度は拙いと思った部分を都合よく「主張」から切り離すという荒業に出てきた。鉄面皮は健在のようである。正常な頭を持っている人間であれば、「主張したい事とは何の関係もない」ことを「レトリックで」使うこと自体に不自然を感じる筈で、これでは彼の信者でさえ失望を覚えるであろう。まったく関係ないのであれば、レトリックとしてであれ何であれ、そもそも言及する必要がない。関係があるからこそ言い方を変えたり他のものに例えてみたりしつつ主張を強化していくのがレトリックというものであって、そこへ「何の関係もない」ことを持ち出してきたりしたら単なるバカであろう。

では、このバカが言っていたことを再掲し、はたして本当に「何の関係もない」ことであったか否かを検証しよう。

前提が違いすぎる気がするね。
ヘッドに入らないコンテンツは、何でも一律テールなんだろうか?
そうじゃないだろう。
極めて良質なコンテンツで、一定のニーズもあるにも関わらず、そのニーズがニッチ過ぎてヘッドには上がり得ない味噌テールもあれば、最初から箸にも棒にもかからない、需要もない糞テールもあるだろう。
私が論じているのは、糞テールはどうでもよくて、味噌テールの話である。
そういう糞も味噌も一緒にして、テールはちゃんと出てくるのだから問題ないんだよ、というのは話が違う。

家庭用ビデオなんかは糞テールの方だ、そんなのが増えたところでテールが充実したとはとても言えない。
本でいうなら、人気ブログでもなんでもないそんじょそこらのブログが自費出版で書籍化したのがAmazonにあるようなもんだ。
そんなもんはどうでもいいのだ。

ヘッドでなければ一律テール、ではない。その中に需要のレベルがある。 – ここギコ!

  • 「前提が違いすぎる」 → 何の前提? 議論のだろう。それは「俺の主張したい事」そのものだったのではないのか?
  • 「ヘッドに入らないコンテンツは、何でも一律テールなんだろうか?」 → エントリのタイトルに答えを書いている。「ヘッドでなければ一律テール、ではない。」 タイトルにしてまで言いたかったことが「主張」ではなかったと??
  • 「私が論じているのは、糞テールはどうでもよくて、味噌テールの話である。」 → 論じた以上、どうみても「自分が主張してもいないこと」とは思えない。「私が論じているのは」「主張したい事とは何の関係もない」んですかそーですかww

これはもう「苦しい言い訳」などといったレベルを逸脱している。ここまで明確な主張をしておきながら、都合が悪くなると平然と「俺の主張したい事とは何の関係もない」と言ってのけるこの男の厚顔無恥な神経は常識の範囲を超えている。言われた方はもう、ひたすら笑うしかない。可哀相だが本人は本気で言っているのだ。自分が何を言っているかも分かっていないのだ。「テール」という言葉が何度も出てくるが、そのとおり、議論の主題はLong Tailの話だったのである。それでもまだ「何の関係もない」と言うつもりであろうか。何故、ご丁寧にも次々と自分で地雷を置いては自分で踏んでいくのかまったく理解できない。

「信念持って主張していること」であったか否かとは別に、言っていること自体もおかしなことばかりなので、全てとうの昔に個別撃破しておいたが、それに対する再反論は今日に至るまで一度も行われたことはなく、前提が違うだの行間を読んでくれだの本筋とは関係がないだのといった見苦しい言い訳を繰り返すだけで、相も変わらず自らの矮小なプライドという名の泥水の上を這い蹲っている。高がblogのエントリなんぞに命かける必要はなく、間違ったと思えばさっさとそれを認めてしまえば良いところを、いつまでも意固地を張っていたっていいこと何もないだろうに。

俺が「ユーザのアップしたビデオは糞」と書いたのは、弾さんとの議論でターゲットになった「コマネチ大学」、すなわち自分の望む、探しているコンテンツではない時点で、他人にとってどれだけ価値があろうが目的があって特定のコンテンツを探している立場からは「糞」という意味であって、別に「ユーザのアップしたビデオ」全てが万人にとって糞だというような主張はしていない。
俺の表現が下手でそう読み取れたのならば、ここで訂正する。

albinoalbinismテラウザス – ここギコ!

アンタ、全然そんなこと言ってなかったからw
「訂正」なんかじゃなくてただの改竄だからww

既に引用した通り、こいつはまず「テール」を「一定のニーズもあるにも関わらず、そのニーズがニッチ過ぎてヘッドには上がり得ない味噌テール」と「最初から箸にも棒にもかからない、需要もない糞テール」の2つに分けた。その上で、「家庭用ビデオなんかは糞テールの方だ」と明確に言ってのけたのだ。

はたして家庭用ビデオが「箸にも棒にもかからない、需要もない」ものなのか、この台詞をLasse Gjertsenと10 millionのViewerにぶつけて試して来い。「そんなもんはどうでもいいのだ」って「主張」して来い。そうすればその勇気だけは認めてやる。

「その中に需要のレベルがある」と、誰がどう判断するのか知らないが(多分、こいつだ)、勝手にTailを切り分けて家庭用ビデオを「糞」に貶めていたくせに、今度は検索対象外のコンテンツのことを言ったんだと慌てて言い繕っている。明らかに「ニーズ」とやらの多寡で分けていたんであって、特定の誰かが行った検索の対象であったかなかったかなんて話は一言もしていなかったろう!? 「別に『ユーザのアップしたビデオ』全てが万人にとって糞だというような主張はしていない」だって!? 「家庭用ビデオ」が「最初から箸にも棒にもかからない、需要もない糞テール」だってはっきり言ってるじゃねーかっ!!! 表現が上手い下手とかいうレベルの話じゃねえだろ、おい。反論されて顔を真っ赤にしながらうろたえて、再反論しようにもここまで明確に論破されてはそれも叶わず、仕方がないから自分はそんなこと言ってない、これはこういう意味で言ったのだと無理に取り繕っても矛盾は拡大するばかり。飽きもせずに毎回毎回こんなことばかり繰り返しているが、こんな惨めな戯言を信じるやつがいると本気で思っているのだろうか。書けば書くほど自分の愚かさと卑怯な性根をさらけ出していることに気が付かないのだろうか。

…気が付かないんだろうなぁ、バカだから。

YouTubeが唯のアップローダーと化していること、Rimoなんていうネットを敢えてTVに模したサービスが話題になること、これらの根底にある意識を「家庭用ビデオなんかは糞テールの方だ」という彼の台詞が代表しているとオレは感じている。一方、見ているとネットの「先進国」である欧米ではどうもその先を行っているようなのである。そして、ネットの本質を考えてみたとき、それは自然な成り行きに思える。だから、これからも彼我の差を感じたときに端的に引用できる便利な言葉としてこの台詞を愛用していきたいと思う。

別に彼が家庭用ビデオをどう思っていようがそれはどうでもいい。頓珍漢な論を村夫子然として展開するなら叩くだけだし、卑屈な言い訳は笑うしかない。CGMこそが素晴らしくてプロが作ったものは駄目なんて言ってる訳でもない。資本と才能がたっぷりと投入されたものが面白いのは当然で、それを楽しんじゃいけないなんてこともない。ただ、この先もずーっとこのまんまだったとしたら、詰まらないな、と思ってるだけ。

And what about that art school teacher who dismissed Mr. Gjertsen’s original stop-motion music video? Does he know about Mr. Gjertsen’s rise to prominence on YouTube? “I hope so! I really hope so,” Mr. Gjertsen says. “I haven’t heard anything from him though.”

An Unrefined Musician Uses Stop-Motion Video To Play a Catchy Tune – WSJ Online

YouTubeによって有名となったGjertsenを失望させた例の教師は未だに何も言って来ないらしい。

……くだらん言い訳をするよりはましかな。

[ 追記 ]

このエントリをアップしたのが22時22分、僅か3時間後の1時44分に彼からTrackbackが送られてきた。相変わらず脱帽するほかないResponseの良さ!! こちらからはTrackbackしてないのに(ごめん、まぁだ出来ないんだ)。ヲチでもしてるわけ? 但しTrackbackは8月のこの記事に対して送信された。それは恐らく、こっちのエントリにTrackback URIが記されてなかったからであろう。またまたごめん。なんかwpってthemeによってそれが表示されたりされなかったりでさ、正直よく分ってないんだ。本当に申し訳ない。

で、どんなことが書いてあるのかな、とクリックしてみたんだが、引用したエントリに戻っちゃった。追記があるのかな、と探したが今のところないようだ。こちら側には「����������」と表示されてるんだけど、どうやったの、これ? 普通はTrackbackを送ったエントリの頭の数行が表示されるものだと思っていたけど、技術屋さんはいろいろなテクを持っているのかね。

反論する気がないのか、も一度よく読みやがれという意味なのか、これからアップするから待ってろよという狼煙を上げたのか…。なんでもいいけど、なんか書くなら横に逃げないで、真正面から反論してね:)

The Google Menace and Japanese 日曜日, 5月 13 2007 

The groanworthy lead: “For a company that pledged to not be evil, Google makes a lot of enemies.”

The menace of Google – Valleywag

エントリのタイトルだが、せっかく「menace」という単語を使うのであれば、Star Warsに引っ掛けて「The Google Menace」にしておけば?という気もするが、英語表現としては不適切なのであろうか。それはともかく、内容はGoogleの脅威に慄く人たちに関するSan Francisco Chronicleの記事についてである。当の記事はそこそこの量があるが、最後に要約があるのでそこだけ読んでも大意は掴める。

Wary of Internet giant
Google’s long tentacles have many running scared:

Silicon Valley: Concerned that Google’s outsize ambition is squashing startups and raising salaries in the tech industry.
Madison Avenue: Fears that Google is taking over the advertising business and making established ad agencies irrelevant.
Hollywood: Takes umbrage at widespread piracy on Google’s YouTube video service, claiming it violates copyright law.
Privacy advocates: Worry that Google’s collection of personal information will create a massive database that can be mined by government.

WHO’S AFRAID OF GOOGLE? – SFGate.com

要するに、Silicon Valleyでは業界の給与水準を上昇させて他のstartupの成長を阻害し、Madison Avenueから広告の仕事を奪い、Hollywoodでは著作権問題から目の敵とされ、集積した個人情報が政府に悪用される危険が指摘されている、ってな具合の内容で、まとまってはいるが特に目新しい問題はない。いずれの問題も知らなかったとしたら、あなたはアンテナが折れている。

その脅威の元となっている、Googleの現状を綴った簡単なデータも付記されている。

In less than a decade, Google has become a corporate colossus. Here are some examples of its muscle:

12,238 Number of employees.
$10.6 billion Revenue in 2006.
$3.1 billion Profit in 2006.
53.7 percent Share of the U.S. search market.
528 million Global unique users in March.
$143.5 billion Market capitalization.
$461.47 Share price.

Source: Google, Chronicle research

WHO’S AFRAID OF GOOGLE? – SFGate.com

GoogleはSilicon Valleyのstartupの脅威となっているか? 優秀なGeekを高給で搔っ攫っているというのはその通りなのであろう。サービスの面においてもGoogle productsに並んでいる項目と競合する企業は大変であると思われる。しかし、何から何まで自社で開発を行う訳ではなくてstartupを買収することもあり、それがWeb 2.0時代のBusiness Modelとなっているのだから、逆にStartupを支援している面もあるのではないか。

広告業界に与える影響としては53.7%という圧倒的なシェアに加えて、更に他メディアへの進出を図っていることを考えればこれは明らか。著作権問題は法廷闘争によって個別に決着をつけていくことでいずれ結果は見えてくるのであろうが、その一方で根底にあるユーザーの志向については、より深く考えていかなければならないのかもしれない

Privacyは個々のユーザーに直結した問題だ。Googleは時の政権に協力的か? 中国を見れば明らかだ。我々はSeach Engineを利用することによって趣味嗜好を明らかにし、GMailで個人情報を、Financeで資産情報を、Codeでスキルを、Docs & Spreadsheetsで業務内容をGoogleに晒している。

じゃー使わなきゃいいじゃん。Googleでないと絶対に探せない情報なんてどれくらいあるの? 大抵のものは他のSeach Engineでも検索可能ではないのか。GMailなんか止めてPOPに戻せばいいじゃん(でもHDDにデータを残すならキンタマ・ウィルスとかには気をつけよう)。Day Traderたちはもとから取引証券会社のサービスやその他のソフトを使っていたことであろう。Code? 本読めよ。仕事はせっかく導入したんだからOfficeかOpen Officeでしなよ。今のところDocs & Spreadsheetsより強力だろ。

しかし現実にはそういう選択肢はあまり現実味を帯びてこない。Redmondに住む、いつまで経ってもファッション・センスが上がらないあの大金持ちだって昔から散々Evil、Evilとイビられていたが、その割にシェアは大して減らなかった。マスゴミにいる連中の給料が高すぎる? じゃあ新聞もテレビを見るの止めなよ。広告効果がなくなれば連中は失業だぜ。でもみんな見てる。


“This is an emergent business with lots of different choices,” Schmidt said. “End users have choices, advertisers have choices.”

WHO’S AFRAID OF GOOGLE? – SFGate.com

Schmidtの言う通り、それは我々の選択に掛っているのだが、理屈はそうであってもある方向に動き出した社会の趨勢は簡単にはひっくり返らない。Googleが生まれたとき、それはまだ積極的にNetを活用している連中のみに愛用された唯の検索サービスだった。しかし、Overtureのアイデアを採り入れることによって広告収入を大幅に伸ばして上場した時その名は決定的なものとなり、今もその膨大な資金力を背景に次々とサービスを拡大してプレゼンスを高めている。

Googleの脅威はその収益性の高さによるところが大きい。何故あんなに儲かっているのか? Keywordを競りによって釣り上げる仕組みがあるからだ。では広告主は何故そんな高いコストを負担してまでGoogleにすり寄るのか。高い広告効果が見込まれるからだ。何故、効果が高いのか。それはみんながGoogleを利用するからだ。結局のところ、Googleを支えているのは我々ユーザーなのであって、考えて見れば企業という社会的な存在である以上それは当然のことだ。


さて世界の東の果てに、西洋の道具は喜んで採り入れるくせにその精神は頑固に独自のものを堅持し続けるちょっと変わった国がある。この国では未だにYahoo!という前世紀のポータル・サービスが主流であって、そのためかKeywordの値段は米国の1/10であるという。大抵の人はモッチーというチンドン屋が内容も厚さも薄っぺらい本を書くまでGoogleが何をやっているかもよく知らなかったし、興味もなかった。今でもそのような人は多い。

2000年の歴史を誇るこの国の人々は保守的で、高々数百年ほど前に目的地を間違えて漂着した土地の人間を殺しまくって国を作ったばかりのアメリカ人とは違い、何かあると直ぐに新しいものに飛びつくほど腰が軽くない。変化は常にゆっくりと進行していく。システマティックなものが好きではないので、PCも世間の流行に合わせて机の上に置いてはみたものの、大した使い方はしていない。人々はもっと手軽で同胞との接触度が高いものを好み、そのせいか携帯はあっという間に国民の間に普及した。

ネットも価格比較のような実用的なものは使うが、それ以外はさっぱり儲からないので、ITを看板にしていても経営者は他業種の買収や不正会計に血眼となっている。競争が嫌いで仲良く売上をぐるぐると回しっこしたりする。アメリカの真似をして安易な市場を作ってはみたが、あまりにひどいその実態が明らかになるにつれ、刹那的な株価の上がり下がりになけなしの財産をはたいていた連中も今では見向きもしなくなってしまった。

最近ではblogとかいうものも輸入してはみたものの、使い方が分らず「後で読む」とお茶を濁して放置している。これを積極的に活用しているのはチェックするだけで思考が停止しているU35と呼ばれる連中だが、「女らしいからしくないか」だの「飲み会に行くか行かないか」だの「努力するかしないか」だのといった若者特有のイカくさい幼稚な青春の悩みをくねくねとぶつけあうだけで、議論そのものはいつも一向に収斂せず結論が出たためしがないので、彼の国では個人bloggerが大メディアに交じって堂々とWhite Houseに出入りしていることを知っている人たちは皆「ハテナ?」と首を傾げている。

閉鎖的なこの国の人々にとってInternetは広すぎる。小さな島の中で仲良くやっていければそれでいいのであって、海の向こうの国などに関心はない。戦争好きのアメリカ人のやってることなんかにもさして興味はない。アメリカ以外の国なんか、いつもいちゃもんをつけてくる特定の国以外は関心すらない。幕末の英雄たちの活躍により植民地化を免れたため、幸いにもCurryを発明した人たちのように英語を押しつけられることもなく、結果としてSilicon Valleyから電話番や下請けの仕事が入ってきたりしないので鎖国気分で楽園を謳歌している。そもそも日本でシリコン・バレーと言えば豊胸手術をした女性の胸の谷間のことである。


そういった具合だからSNSのような閉じたサービスは大好きだ。身内だけで仲良しごっこが出来るところがいい。頭のおかしい外国人がいきなり「らき☆すたッテナンデスカ?」などと話しかけてくることもない。周囲を海に囲まれた狭い国の中だけで平和的に愛し合ったり殺しあったりしてきた国民性にぴったりである。あまりにも楽しそうなので、(関東では)総合テレビと教育テレビの狭間にいる友達の少ない人たちが嫉妬して乗っ取りを図ろうとしたり、平和的な性質が災いして情報の恐ろしさを忘れた迂闊な人に時おり不幸が舞い降りたりしてはいるものの、全体としてはまだまだ高成長の道を辿っている

この国の人々はわけもなく性善説を絶対視し、全ての人にそれを強要し、そうでない者は徹底的に排除する。外資系企業は須くこの特異な国民性をよく研究すべきであって、それを怠った者は必ず失敗する。他方、排除した者は視界から消え失せるので、一般の目が届きにくい金融市場などではやりたい放題である。

Japanese is not afraid of Google, only doesn’t know it very well.

逃げ出した 日曜日, 5月 13 2007 

Je vous en prie - 差別発言した私が悪かったのです。_1179021373783
本日を持ちまして、このブログを終了します。

江草さんは私を擁護しようと思ってコメントしてくれたわけではないのです。私に三種類の女(売春婦、精神的売春婦、第三の女)がいることを教えようとして、岸田秀のものぐさ精神分析を紹介してくれたのです。つまり、結婚している女は精神的売春だということになると。妊娠と出産と授乳はどう転んでも女がやらなければいけないこと、いわば、特定一者を対象とする売春であると。不特定多数を対象とする売春も婚姻制度の成立と同時に発生して、婚姻と売春とは女の肉体の商品化という共通の前提に立っている。売春は、男たちのあらゆる社会階層に見合った売春婦が必ずいる。女性差別、女性蔑視のはじまりだと。江草さんは、私にゆきが売春婦と使った言葉を理解させるために、その本を薦めてくれて、決して女性蔑視、差別をしようとして、コメントをしたわけではないのです。江草さんは、頑固頭の私に、気づかせるためにコメントをしてくれたのです。江草さんには多大なご迷惑をお掛けしてしまいました。申し訳ありませんでした。これ以上続けていてもご迷惑になるばかりですので、終了です。

差別発言した私が悪かったのです。 – Je vous en prie

なんだよ止めちまうのかよ。てっきり差別発言全開のネタ・エントリでぶくまを集めるつもりかと思っていたのだが。岸田秀を読んだことがその切っ掛けのように書いてあるが、あまりにも遅いよなぁ。忙しかったのかも知れないけどblogを更新する暇はあったわけだしなぁ。江草氏がどのようなつもりで岸田秀を薦めたのかなんて、普通にコメント読んでりゃ分かる話だし、彼が攻撃されたのは「義を見て…」という言葉を引用したのがまずかっただけだろ。

自分の間違いに気づいて訂正なり謝罪なりするのはあたりまえのことであって、だからと言って必ずしも止めちまう必要はなく、単に逃げ出しただけ。形ばかりの謝罪をして、「これからは沈黙する」とか言っておきながら、その後もぺらぺら喋ってたこのオンナを信用する者などいない。どうせまたほとぼりが冷めた頃にidを変えて始めるんだろ。しれっとした顔してさ。

不用意な発言と言う責任をyukiさんが感じていないのが腹立たしい。

はてなブックマーク > Je vous en prie – 差別発言した私が悪かったのです。

まだなんか言ってるし、意味不明だし。

ないない 金曜日, 5月 11 2007 

明日夜NHK番組にちょい出 – ちょーちょーちょーいい感じblog
NHKクローズアップ現代に出演とサイトのご案内 – 情報考学 Passion For The Future
やっぱりテレビは、番組制作にかける手間も、インパクトもすごいということ。 – Tokuriki.com
クローズアップ現代「“カリスマ”続々登場!ブログ新時代」 – Isologue
NHKクローズアップ現代で紹介されました – ガ島通信

揃いも揃って「テレビに出た出た」と一斉に大はしゃぎしている「アルファブロガー」(但し徳力氏のみ別)とは対照的な、にちゃんねら達のシニカルなまでの冷静さに大笑い。

122 名前:名無しさん@七周年[sage] 投稿日:2007/05/10(木) 21:30:19 ID:nQEZttaD0
>このサイトが日本の世論に対して及ぼす影響力は総理大臣、天皇、
>既存のマスコミを合わせたよりも大きい。
             ____
           /      \
          / ─    ─ \
        /   (●)  (●)  \   ないない
        |      (__人__)     |
         \     ` ⌒´    ,/
 r、     r、/          ヘ
 ヽヾ 三 |:l1             ヽ
  \>ヽ/ |` }            | |
   ヘ lノ `’ソ             | |
    /´  /             |. |
    \. ィ                |  |
        |                |  |
154 名前:名無しさん@七周年[] 投稿日:2007/05/10(木) 21:33:14 ID:fUzmhRJY0
2ちゃんは嫌われてなんぼ
マスゴミに誉められたら終わり

2ちゃんねるの影響力、首相・天皇・マスコミよりも大きい…日本人の本音が分かる、世界最大の掲示板 – 痛いニュース(ノ∀`)

復活したWired Japanもいきなりこんな失態を演じているようでは駄目だな。書き手は誰かと思ったらTokyoMangoのLisa Katayamaではないか。翻訳記事であったか。

「著者がすごいすごいと繰り返すだけ」 金曜日, 5月 11 2007 

著者はそれをまるで説明しない。著者がそう思ってるだけ。じゃあ仮説なら、これを仮定すると何かすっきりした見通しがたつのか? そういうわけでもないんだな。で、続いて認識のニューロン原理ってのが出てきて、あらゆる認識はニューロン発火状態のパターンだけで説明できなくてはならないという。これは「その後にはペンペン草一つ生えない」くらいすごい破壊力を持つ原理だそうな。でも、これは証明もされてないし「革新的なポテンシャルがまだほとんど実現されていない」。実現されてないどころか、それで何が説明できるのかも全然まとまらず、著者がすごいすごいと繰り返すだけ。

Do Your Homework! – Cruel.org via YAMDAS現更新履歴

山形浩生は1997年の時点で既に茂木健一郎を取り上げていたのか。その内容はモッチーと少しも変わらないではないか。2人は出会うべくして出会ったのだな。

説明なし。仮説もなし。「著者がすごいすごいと繰り返すだけ」。

まさに「革命だ革命だ」と喚き散らす梅田本そのもの。ひょっとすると、「Web進化論」は茂木を参考にを書いたのかも。「大変だ狼が来るぞ」と騒ぎまくっていれば根拠などなくともそのまんま「すごい」と思い込んでくれる奴が世の中には大量に存在しているので、これはショーバイになるってな具合に。今度のも早くも2刷らしいし。

売れれば売れるほど、モッチーの大好きな「集団の叡智」などどこにも存在しないという事が証明される構造となっている。…なんて本も読まずに言っちゃって、実は素晴らしい内容だったらどうしよう、なんて心配は全くしていない。

寝惚けてるんですか? 木曜日, 5月 10 2007 

  • 超整理法ではないですが、メールは着た順番から返信し続ける。貯めるな!
  • ミーティングなど物理的にPCの側にいない場合は上記の理由で返信が早い

小林さん寝ているんですか? など – 小林雅のBlog

あまりにもくだらないので、細かい突っ込みはしないが、マジで「寝惚けてるんですか?」と問いたい。こんな粗雑な脳味噌で企業評価など出来るのであろうか。

次ページ »