「前提」と「誤読」と「行間」とw 月曜日, 9月 11 2006 

うーん、折角Track Back URIがちゃんと表示されるThemeに変更したのに、Track Backは送ってもらえないようである。そもそも強制できる筈もなく、するしないは勝手であるからこれは仕方がない。

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事の発端は、ここギコ!さんという方の「群集はロングテールの消費者たりえても提供者たりえないのではないか」というエントリに対して、私が反論を書いたことだ。

これに対して彼は「前提が違いすぎる気がするね。(中略)私が論じているのは、糞テールはどうでもよくて、味噌テールの話である。」と書いた。しかしながら、テールの一部分に限定するといった「前提」は最初のエントリには一切書かれていなかったし(みなさんも確認してみればいい)、第一、「糞」か「味噌」かの判断は誰がどのような方法でおこなうのかも疑問であるため、私はエントリの内容を変更するのはよろしくないとの苦言を呈した上で、馬鹿丁寧にも2番目のエントリで論じられていた、ヘッドでなければ一律テールではないとか、家庭用ビデオは「糞」であるとか言った、新しい内容に関しても、ひとつひとつ例証を挙げて反論しておいた。

それに対する再反論の内容は、私が誤読をしているというものであって、「最初から俺は需要に対する供給の網羅性という、質の問題を話している。」との事であった。

反論できないと、誤読扱いですかそうですかw
どう見ても言い逃れです。
本当にありがとうございました。

彼の主張をエントリ順に整理すると


  1. 群集はロングテールの消費者たりえても提供者たりえないのではないか
  2. 私が論じているのは、糞テールはどうでもよくて、味噌テールの話である。
  3. 最初から俺は需要に対する供給の網羅性という、質の問題を話している。

論点がコロコロと変わっていく様がよく分かり微笑ましい限りである。
2番目の内容は1番目のエントリにおいては全く触れられていなかったし、3番目のエントリでは2番目で「前提」とされていた点が変わってしまっている。
短い文節だけ取り出して決め付けているのではないかと思われる方は、どうぞ彼の其々のエントリの全文をお読み頂きたい。

彼の書いた個々の主張に対する反論は既に述べているので、ここでは①前提は違っていたかと、②誤読があったかに絞って検証してみたい。

まず①前提は違っていたかという点であるが、最初のエントリの前提は、ロングテールの話であるということと、「群集は」「大した需要が見込めないようなコンテンツをアップするようなモチベーションが働」かないという2点であり、その結果として「ロングテールの論理は」「群集によりコンテンツが提供される分野では、うまく働かないんじゃないかと言う気がする」というのが結論であった。

そこには「味噌テールの話」に限定するといったことは一言も書かれていないので、これが後付の屁理屈であることは明白である。多分この人は、書き手が選別した以上、例えそれがテールに位置する結果となったとしても「味噌」だって言いたいのであろう。自分が「有用」だと思ったものは他人も同じように感じる筈だという、幼児的な自己中心性がここにはある。Chris Andersonはそんなことは言っていないし、例えテールから彼の言う「味噌テール」のみを取り出したとしても、「味噌」の中身にもいろいろあろうから、やはりそこにも同じような曲線が示現されるかもしれないことは、考えれば直ぐに分かりそうなものである。

次に②誤読があったか否かである。

最初のエントリからAmazonの網羅性との比較を論旨の中に入れているので、当然質の問題として読んでもらえるだろうと思い込んでいただけで、よもやロングテールが形成されるかどうかの問題などと誤読されるとは夢にも思わなかった。
A lousy weak reader ! – ここギコ!

「網羅性という、質の問題」などという頓珍漢な文章には頭がクラクラさせられる。
網羅とは「そのことに関するすべてを残らず集めること。」であり、質は関係ない。従って網羅性について議論しているとき、それを質の問題として読むひとはいない。「網羅性が高い(低い)=質が高い(低い)」と言いたいのであっても、単に網羅性の問題といえば済むし、「質の網羅性」というように変換しても、全く同じである。

網羅性などという、中学生でも知っているような言葉の意味すら分からない程度の語学力であるから、言い訳自体が成り立っていないことに本人が気付いていない。

因みに、「最初のエントリ」中の「Amazonの網羅性との比較を論旨の中に入れ」たと言うのは以下の部分であろう。

要するに、ロングテールの論理は、Amazonのようにあらゆるコンテンツを網羅して提供する基礎がある中で、少数の需要が束になって大きな効果になる、といったところでは有効だけれども、群集によりコンテンツが提供される分野では、うまく働かないんじゃないかと言う気がする。
群集はロングテールの消費者たりえても提供者たりえないのではないか – ここギコ!

「群集によりコンテンツが提供される分野」の例としてblogを考えてみると、そこにも「あらゆるコンテンツを網羅して提供する基礎」はあると言える。その気になればどんなものでも話題とする事が出来るからだ。すべての「群集」が押しなべてヘッドになることを意識しているか、例えば、はてブのホッテントリにエントリされることを目標にポストしているかどうかは疑問であるし、例えそうであったとしてもコンテンツの多様性は十分に生まれ得る。従って、網羅性が確保されるのであれば、コンテンツの数は多数あるということであり、テールは形成される。だから、私は「そんなことはない」と反論した。

要するに、ここギコ!さんは「群集によりコンテンツが提供される分野、うまく働かない」と論じ、私はそれでも働くと論じたのであって、軸は少しもぶれていない。
どこに誤読があるというのか。

Wikipediaは芸能人・声優だの、アニメや特撮のシリーズ物の歴史だの、辞典としてはどうでもいい記事がものすごく詳細に挙がっている一方で、ちょっとマニアックな動物や歴史のことを深く調べようと思うと、途端に「この項目は書きかけの項目です」に出会ったり、項目そのものがなかったりする。
これも、群集によるコンテンツ提供が、ロングテール分野では充実しないことの一端じゃないかと思う。
群集はロングテールの消費者たりえても提供者たりえないのではないか – ここギコ!

この人は文字通りすべての事柄が網羅されていないと「ロングテール分野では充実しない」と勘違いしてしまっている。ロングテールというのは、テールがヘッドに匹敵するまで長く伸びたときのことを論じているのであって、なんでもかんでも揃わなければダメなどと言っているわけではない。たまたま自分が探しているものがそこになかったからと言って文句を言ったって仕方がない。

でも、ちゃんと行間を埋めて読んでくれてる人は、最初の文章から「質の問題なのだな」と受け取ってくれてる。
はてブを見ても「義務のないところで網羅されるかどうか、という話か。」というふうに、まさにキーワードであるところの「網羅性」を含めたコメントをしてくれている人もいるし、コメント・トラックバックを見ても正しく読み取ってくれている人もいる。
A lousy weak reader ! – ここギコ!

笑止。私が行間を埋めたところ浮かび上がってきたのはこの人の肥大化した自意識だけだった。

上の文章を見ても「質」(=内容)の話をしたいのか「網羅性」(=数)の話をしたいのかさっぱり分からない。
個々のコンテンツの「質の問題」を問いたいのであれば、ロングテールとは別個に議論すればよかったのである。テールの質がどうのこうのという議論はロングテールとは無関係であることは既に先のエントリで述べてある。それを「100%無謬」として認めておきながら、今更「質の問題として読んでもらえるだろう」というのはおかしい。

前提が違うだの誤読をしているだの行間が読めていないだのと誤魔化して、必死に自説の放棄を免れようとしているのは、傍から見ていてまことに痛々しく、また悲しい。

たかがロングテールなんていうBuzzwordに関する個人の一考察なのであるから、間違っていたと思うなら素直に認めればいいし、そうでないならきちんと反証していけばいいものを、この人の場合は自らのプライドをかけちゃっているので、可哀相にそのどちらの対応をも取れなくなってしまっているである。この点については先の反論で述べた。そもそもそのプライドが最初のエントリを書かせたわけで、仕方がないといえば仕方がないのだが、その姿は哀れというほかない。

恐らくここまで言ってもこの人は自分の誤りを認めようとはしないであろう。ひょっとすると、更にまた別の頓珍漢な言い訳をするかも知れない。
ただ、ひとつだけ忠告したいことは、例えあなたが書いたことと別のことを言いたかったのだとしても、書いた以上、人はその書かれた文章をもって判断するのだということである。そしてそれは誤読などではなく、単にあなたに作文力が欠けているということに過ぎないのだ。

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“大きな勘違い”って、そんなことか 月曜日, 9月 11 2006 

常識的に考えれば、ロングテールで「少量多品種」になれば、効率は悪くなる。つまり、「ロングテールをやればもうかる」のではなく、「絶対的地位の規模を獲得すれば、ロングテール“でも”利益が出せるようになる」と見るのが正しいのではないか。
ネット・エコノミー解体新書 「アマゾンと、ロングテールに関する”大きな勘違い”」

単純に「ロングテールをやればもうかる」なんて考えてる馬鹿はいないだろー。

…….いるのかな?

そもそもロングテール以前の話として、Buzzwordに踊らされて自らの経営環境を省みずに猿真似をするようなバカは自滅するに決まっているし、そのようなバカのためにわざわざ磯崎氏が記事を書いてやる必要もないと思う。もっと面白い内容を期待したのに、期待はずれであった。

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LIGHT CARPET 月曜日, 9月 11 2006 

なんじゃい、こりゃw

Image
Light keeps on illuminating our life in surprising ways. A new example comes from Johanna Hyrkas, a Finnish designer/architect/artist who puts poetry on the floor with her light carpet.
LIGHT CARPET – The Cool Hunter

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Going green is the next big thing. 月曜日, 9月 11 2006 

娘に言われちゃうと、きついわw

After dinner one recent night, family and friends were discussing their views on global warming. With clarity and wisdom beyond her 15 years, my daughter said, “Dad, I’m scared and angry. Your generation created this problem. What are you going to do to fix it?”
The next generation is scared and angry – VentureBeat

アメリカは京都議定書を批准していないし、ブッシュの支持基盤はテキサスの石油ビジネスだし、町山智浩氏によればアメリカ人は地球温暖化問題そのものを知らないらしい。しかし、(当たり前だが)アメリカ人の中にもこの問題に深い関心を寄せている人はおり、あのJohn Doerr もその一人であった。

但し、このコラムに寄せられたコメントは皮肉なものが多い。

I graduated from college last May and can tell you that the next generation isn’t scared, and defiantly isn’t angry.
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Dad, in the 70’s scientists told me global cooling heralded the onset of another ice age. In the 80’s acid rain was going to wipe out humankind. In the 90’s the hole in the ozone was going to cook us all.
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I tend to agree with the earlier commenter that global warming is not top of mind for my generation.
The next generation is scared and angry – VentureBeat

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「買って読むほどの価値はない」w 月曜日, 9月 11 2006 

私も執筆したのでいいにくいが(中略)、買って読むほどの価値はない。
ライブドアに物申す!! – 池田信夫 blog

フイタw
この人のこういうところが好きだw

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